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生きる気満々らしい

妙な夢を見た。夢を見たことすら覚えていないことが多いのだが、最近覚えていることがたまにある。ほんとにたまにだけど。

秋ぐらいからだったろうか、長年の悩みだった中途覚醒もなくなり睡眠の質が上がったように感じていたんだけど、昨日というか今朝は3時頃目がぱっちりと覚めてしまい、スマホをいじったり読みさしの本を開いたりしていた。
まあそこで起きちゃえばいいんだろうけど、暗いし寒いしもったいないし面倒くさいしでふとんの中でぐずぐずしていた。そんなことしているうちに、いつの間にかまた寝た。たぶん5時少し前くらい。

昼寝とか二度寝とかに見る夢は起きた直後はわりに覚えていることが多い。加えて夢見が悪いことも多い。
今日見た夢は興味深かったので記憶が新しいうちにTwitterにメモした。

あ、エアコンっていうのはちょっと違ったかも。今のはすぐ切れるもんね。
ともあれ、あとちょっとで死にますよっていうのがわかっている状態が現実だったら真綿で首を絞められるような厳しさがあるような気がする。
だけど、夢の中の自分は、多少は焦ってはいるんだけど、次の電車にちゃんと乗れるかな程度の焦り具合で、もうすぐほんとに死ぬことがわかっているわりには切迫感が少ない。

***

20代後半あたりから、40歳くらいで死んでもいいなと思い始めていた。とくにつらいことを抱えていたわけではない。むしろ趣味にも仕事にも打ち込んで、今なんかよりはるかに楽しく、充実していたくらいだった。
でも、長生きしてもずっと今のまま楽しいことが続くとは思えず、ある意味後半の人生に希望をもっていなかったんじゃないかと思う。それにわたしが死んで困るひとはいないし、そういう点で死ぬ際に弊害となる責任や義務も少なかった。

で、3度目の厄年に一度死ぬチャンスがあったんだけど、結局生き続けるほうを選択した。
40歳で死んでもいいとものすごく本気で思っていたわけではないというのもあるけど、その選択のとき強く感じたのは、社会的動物として生きなきゃいけないと漠然と思ったのだ。それでいまだにというか、もう半世紀も生きている。

今朝見た夢の中でも死にたくないと右往左往することはしてなかったけど、ここで寝たら死んじゃうと思って眠気を我慢するあたり(雪山遭難者みたいだな)、まだまだ生きる気満々のようだった。

どうせ生きるならなるべく健康体でいるほうが楽で、でも何もしなくても万全な体ではもうない。
だから毎日1万歩歩き、筋トレしながら本を読み、つま先立ちで歯を磨き、スクワットしながら髪にドライヤーをかけるという涙ぐましい努力をしているけど、報われるのかしらそれ。

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