見出し画像

猫はかわいいのが仕事

今日は台風一過のおついたちだった。

倒木で電車が走らないなんてことは、素朴な路線でしかありえないと思っていたら、都心のど真ん中で木が倒れたらしく、来ない電車を待つひとびとがホームにあふれかえっていた。みなさん少々殺気立っている。

わたしは下り電車だったので、電車が来てくれさえすれば普通に乗れそうだった。
いつもは座れない程度には混んでいるのに、今日の下り電車はガラガラで、なんだかゆったり気分で出勤した。上り方面じゃなくてよかったと心底思った。

ホームのひとたちを見ていて、東日本大震災が起きた後のことを思い出した。
地震発生後の週明けの月曜日、何本も電車をやり過ごしても乗れなかった。もはやひとが入る余地のないほど激混みの電車が来るからで、それにさりげなく何人ものひとに割り込まれるからだ。あの調子じゃ日が暮れるまで乗れなかっただろう(会社から来なくていいという連絡が入り、速攻で家に戻った)。

そんな押しつぶされて死にそうになるくらい混んでいる電車に、妊婦さんマークのストラップをかばんにぶら下げた女性が乗り込もうとしていた。夫らしきひとも一緒だった。

妊娠したことがないのでよくわからないが、それはあんまりよろしくないことなんじゃないかと思った。
大きなお世話だけど、そこまでして仕事に行く必要ってあるんだろうかと思った。
ほかのひとたちもみんなそうだ。地震が起きても、台風が来ても、我先にとひとを押しのけてまで行かなければならない仕事ってなんだろう。


猫はかわいいのが仕事。猫の手なんて借りる価値はぜんぜんないけど、猫はいてくれるだけでかわいい。
赤ちゃんは泣くのが仕事。赤ちゃんはひとに世話を焼いてもらうために、かわいらしくできているという話も聞く。

猫も赤ちゃんもいるだけでいい。仕事ができないからって、価値がないとか能なしだなんて思われない。

おとなの人間も猫や赤ちゃんみたいになれたらいいと思う。そうしたら、ホームで殺気立つ必要もないでしょう?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?