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なかなかひとりにはなれない

なんだか今年は街がクリスマスっぽくないなと思った。例年こんな感じだったか、それともこういうのが今の“トレンド”なのか。
商売する方もされる方も、クリスマスというよりも年末に向けての動きの方を重視しているように見える。日本の経済のやばさの現れなのかしらんと思いつつ、そこらへんのことを自分ごととして理解できない自分は頭が悪いなあと思う。

多くのサラリーマンは今週が終われば休みに入るから、年末に向けて仕事はなかなかに無茶振りされる。それに、年末はやっぱりだてに年末じゃないので、仕事以外でもやっぱりちょっと慌ただしくなる。
といっても、しがらみのないわたしの忙しさはせいぜい来年の手帳とトイレブラシと下着の方のパンツを買いにロフトとニトリと無印良品をはしごしただけなんだけど、それだけで自分のなかでは慌ただしさ満載で、それがいちおうこの世の中で生きているという感じをもたらしてくれて、それはよかった。

買い物を済ませて地元の駅に着いたら、案の定コンビニのひとがこの冷たい風の吹くなか、店の外でチキンを売っていた。かわいそうに。簡易ビニールハウス的なものでもたてればいいのに。
チキン好きなのでいつもなら買ってもいいかなと思うのだけど、今日はチキンな気分じゃなかったので無表情で素通りして、ドラッグストアでカビキラーとデンタルフロスを買って帰った。

今日の昼食に食べた担々麺がかなりさっぱりしていたので、夜になったらちゃんとお腹がすいた。いつものことなんだけど、帰宅してから夕食にありつくまで、なぜか1時間くらいかかる。
着替える、手を洗う、ネコにカリカリをあげる、郵便物の宛名を切り取って捨てる、今日は買い物したのでそれらを開封してしかるべき場所に配置する。それで1時間。料理なんて冷凍ご飯をチンするだけなのに。
それほど動作がとろいわけじゃないつもりだけど、なんだか行動の結果とそれにかかった時間の関係がおかしい気がいつもする。

担々麺を一緒に食べた同僚は、性格がとってもチャーミングでそこが好きなんだけど、そのチャーミングさがすべての行動が他人にどう思われるか基準に起因しているようだ。でも彼女はリア充じゃないことを普通に晒すので、なんだか面白いなあと思う。こういうひとはある意味生きやすく、ある意味生きづらいんだろうなと思うけど、その生きづらさは本人が生きづらさを感じるタイプの生きづらさではないような気がする。生きづらさなんてあくまでも本人基準であって、生きづらいほうが楽ならそうすればいいと思う。

わたしみたいに一人でいる時間が長い人間でも、社会に生きていればこうやって他人がいろいろな形でかかわってきて、わたしには関係ないはずなのに他人のことを勝手にあーだこうだと決めつけてえらそうにこうやって書いている。基本的にわたしは暇なんだなと思う。

昔は長めの休みでずっと一人でいると、意識の上では寂しいとは思っていないのに、精神の調子を崩すことが多かったのは、寂しかったからというよりも、人間の性質がだれともしゃべらないではいられないようにできているからなのかなと思った。
でもそれも訓練で克服できるみたいで、今は10日くらいだれとも会わなくても平気になった。それ以上は残念ながらまだ経験していないけど、1ヶ月くらいは平気かもしれない。それと、もしかして当時と違っていまはネコがいるから大丈夫なのかもしれない。お猫さまさま、ありがたや。

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