_フレンチアルプスで起きたこと_サブ4

だから男ってやつは……というわけでもなかったのだけど

危機的状況のなかで妻は子どもを守ろうとし、夫は携帯電話を持って逃げた。そんなできごとを発端に、あれやこれやが起こるという映画。

観た映画:「フレンチアルプスで起きたこと

女っていうのは強くて怖いという事実は、万国共通なのだろうか。この映画でも、女が強いように見える。だから、男女逆の内容だったらどういった展開になるんだろうか思いながら観ていたけれど、最後まで観たら、逆にしても同じだと思ようになった。

人間の弱さ、その弱さをごまかそうとすることも含めた弱さって、多くの人が持っているんじゃないだろうか。
自分の弱さを正直に認めて他者に向かって言語化できるひとは、強いか、あるいは開き直っているのかのどちらかだと思う。
開き直りではない形で(ってのがまた難しそうだけど)弱さを認めれば、夫婦関係も含めた人間関係はもっとうまくいくような気がする。

ここでわたしは「強い」とか「弱い」だなんて安易に書いているけれど、そもそも強さとか弱さとかはどうやって決まるんだろうか。
「弱さを認めれば強い」だなんて書いたけど、じゃあそれは結局弱いのか強いのかどっちなんだよって言いたくなるし。
ケンカで負けたことがなければ強いのか。いや、それはケンカという競技における尺度だけによるものだし。

映画のなかで、夫は雪崩がせまってきたとき、家族をほったらかして自分だけが逃げた。そのことを妻から責められる。幼い娘と息子からも、なんとなくじっとりとした目を向けられる。
夫は自分だけが逃げたことによって自らの弱さを露呈してしまった。この弱さは、妻にとっては正しくないことだ。だから、妻は人前でねちねちと夫をなじる。

どうして自分だけ逃げることが正しくないのか? 自分の命を守ることがよろしくないことだとだれが決めたの?
なにがあっても家族を守るべき? じゃあ、他人はどこまで助けるべき? 自分の命を犠牲にしてでも赤の他人を守るべき?

映画の最後で、家族はバスでスキーリゾートを後にする。
そのバスの運転手の運転がへたくそ極まりない。妻はブチ切れて運転手にドアを開けさせ、子どもを置いてさっさと降りてしまう。
あれー、奥さ~ん!?
さんざっぱら旦那さんを責めておいて、子どもどころか、夫のこともほかの乗客のこともも眼中にない。
それに、寒いのにコートなし? 荷物置いてっちゃうの? ってこっちが心配しちゃうくらい、彼女は安全を求めていた。

親が自分の子どもを何らかの危険な状況から救い出し、その代わりにその親が死んでしまったというニュースがときどきある。
海で溺れている子どもを助けたお父さんが、逆に溺れ死んでしまったとか、大地震が起きたとき、倒れてきたタンスの下敷きになってお母さんは死んでしまったが、お母さんに守られていた子どもは命が助かったとか。

親たちはその瞬間、なにも考えずに、衝動的にそういう行動に出たのだと思う。
自分が死ぬとか生きるとかいうことは、頭に微塵も浮かばない。ただただ子どもを助けたい、守りたい一心で、子どもを守る「べき」とか「正しい」とか「正しくない」なんて邪道なものはまったくなく、自らの命を差し出したんだと思う。故意であるか否かにかかわらず「正しすぎる」行動をするひともいるわけだ。
残された子どもが一生背負うものを考えると、それがベストな選択だったとは思えないが……。だから「正しすぎる」行動をしてしまうような事態が起こらないのを願うばかりで。

映画のなかで、夫も妻も衝動的な行動の方向が、自分の命だけを守る方に向かってしまったことがあった。
でも、雪崩のときに妻は子どもを守ろうとし、危なっかしいバスでは夫は子どもを置き去りにはしなかった。
そして、二人とも他人には見向きもしなかった(笑)。

そんな自分の弱さがバレるようなできごとに遭遇することは、あまりうれしくない。そんな自分を一生見ないですむに越したことはない。
でも、そんな「弱い」自分に巡り合うチャンスがあり、そんな自分を恥じ入り、それを抱えながら生きていく彼らは、きっと「強く」なる、といいね。

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