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あなたの知らない世界

もともとあんまり人間を信じていないたちで、でも人間不信というのともちょっとニュアンスがちがうのだけど。
べつに常にひとを疑ってかかるというわけでもなく、逆にひとを信用してしまうところがあるかも。
信用してしまうのは、そのひと自身をというよりも、そのひとの発したことば(のまとまり)のほうだ。ひとが嘘をついているとあんまり思わないのだ。相手の言ったことをそのまま受け止めてしまう。
で、あとからほかのひとに「あのひとあんなこと言ってたけど見栄張ってんのよ」とか言われて、あー、そういうとらえ方もあるんだなどとのんきにそういう話を聞いているのだ。

ことばがどんな意味で発せられたのか、そのことばがどんな意味で受け取られたのか。それが発信と受信がイコールでやり取りされていることって果たしてあるんだろうか。
なんだか切なくなっちゃって、こんなつぶやきをしたのだけど。

ほとんどの場合において、ことばとことばがイコールになっていることってないような気がする。
辞書的な意味の取り違えではなく、そのことばのとらえ方の違いが、ときにことばの意味がズレてとらえられたまま、時や物事が進行していき、ときにトラブルの火種となる。

室内に一緒にいて「暑いねー」と言われて「そうだねー」と同意するだけなのか、深読みして「窓開けようか」とか「エアコン入れようか」などと言うのか(暑いという事実に同意しているだけだと、気がきかないと思われることもありそうだ)。

会社で昇進したひとに対して「おめでとう」ということばをかけることが、心からの称賛だと相手に受け止められるのか、はたまた嫌味として受け止められるのか(それは相手次第なので、あんまりこっちには関係がない)。

そのことばをどのような意味でとらえるのか、その経過は、国や民族のちがいによってはもちろん、日本という単一民族のなかでも異なることが最近気になってしょうがない。

おもしろいなと思ったのが、欧米人は個人の独立性や自律性がたいせつにされているから、他人に押し付けたり押し付けられたりということをしないという話。
また、時と場合や関係性にもよるけれど、基本的に直接的な命令はしないという。それは礼儀とかそういうことではなく、文化に根ざして制度化されているらしい。
以前、仕事でフランス人に「〜してください」と頼みたいことを列挙したメールを出したら「やだ」と言われたので、「〜してくださいますか」という書き方でもう一回メールしたら、「喜んで」という返事が来たことがあった。
欧米人にははっきりとものを言ったほうがいいというのを信じていたのだけど、実はそうでもなかったという失敗だ。

また、押しつけはしない一方で、自分の意見は断定する形で言い、「たぶん」とか「〜と思う」という言い方は一般的になされないらしい。

日本人はこれのほぼ真逆じゃないか。
それには「立場」というものが影響しているように思う。優位な立場にいれば平気で命令をし、考えだけでなく、自分ですら選べない感情までをも押し付けるといった傾向が多くなる(もちろんみんなじゃないですよ。それに欧米にもそういうひとはいるかもしれない)。
立場を盾にして相手を個人として尊重しないひとが日本には少なくないと感じる(だから日本では転職するひとが少ないのかな)。これはわたしが、めちゃめちゃ日本人のくせいに、「個」を重んじるから感じることなんだろう。

わたしはめちゃめちゃ日本人だけど、「やだよん」と言ったフランス人と同じように、押し付けられることはもちろん、押し付けることも好きじゃない。
少なくとも押し付けることだけはしないように、常にいろんな世界を見ておきたいと思う。

一つの世界にいることが必ずしも悪いことというわけじゃない。
一つの世界のなかにだってホームもあればアウェーもあるし、知らなかった新しいなにかに出合うことだってある。
だけど、同じ世界のなかの居心地のいいところにい続けたら、その世界のルールでしかものごとを見られなくなるし、その世界のルールが自分の視点になってしまう。つまり、なにも考えなくなってしまう。

一つの世界にい続けていれば、べつの世界を知ることはできないし、その存在の可能性すら考慮できない。
さまざまな考え方や事情があるっていう想像力もなくなって、他者をコントロールしてしまう。世界は一つだと思ってしまい、すべて自分がコントロールできると勘違いしてしまう。

昔のひとが「無知の知」と言ったけれど、それは知恵についてだけのことを言っているのではなく、自分の知らない世界があるかもしれないっていうことを頭の片隅に置いておきなさいよってことだとわたしは勝手に解釈している。

とはいえ、人間は変わりたくないのだ。現状とくに困っていなければ、そこにとどまっていてもいいではないか。
だけど、長い目で考えたほうがいいと思う。
歳をとればいやでも体力は衰える。だから、衰えを少しでも遅らせるように運動をしておいたほうがいい。
それと同じで、頭だってどうしてもかたくなる。でも世界はどんどん新陳代謝されていく。いつまでも同じ世界にいれば、今度はそっちのほうの居心地が悪くなる。
無人島と化した世界で孤独に生きていくのか、みんなの移住先にかろうじてついていくのか。
やっぱり運動はしておいたほうがいいかもなー。

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