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無駄な時間?

昨日は久しぶりに会社に行ってきた。担当する業務内容は社会的には不要不急なのだが、関係者の皆さまにとっては要、かつ急ということで、家にいなくてごめんなさい。

在宅勤務になってわかったことは、家で仕事するほうが意外と集中できることだった。それから合間に体操しているせいか、必ず眠くなる16時になっても眠くならない。オフィスだと当たり前に周りにひとがいて、それも空気みたいに思ってあまり気にしていないつもりだったけど、やっぱり微妙にストレスだったようで、それから解放されてへんなこわばりがなくなった。体調もよくなった。

で、久しぶりに昨日会社に行ったところ、ものすごく疲れたのだった。リズムが狂ったというのもあるだろうけど、満員電車に揺られたわけでもないし、場所が変わっただけで疲れるだなんて原因がよくわからない。

魔の16時には会議の最中だったのでさすがに眠くはならなかったが、18時をすぎるころにはため息ばかりが出た。はやく帰ろうと思っていたのに、出社したついでにあれこれやっておこうみたいな気持ちが出てしまって、人気のないオフィスで20時すぎまで仕事してしまった。
つらくなってきたらその都度、靴下をちらちらと見て気持ちを立て直した。かわいい靴下でしょう↓↓。先だって靴の修理屋さんで見かけて衝動買いした。台湾のメーカーのものだそうで、靴下ひとつでやる気が出るなんて簡単だな自分と思う。

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靴下でテンション上げつつ、会社を出て、金曜の夜とは思えないひっそりとした銀座の街を見たら、疲れが増した。帰ってきてぐったりして、よろよろとお風呂に入って、日課のストレッチも顔体操もせずに寝た。それくらい疲れた。今日は二度寝から目が覚めたら9時半で、寝坊してしまった。

今日になっても微妙に残る疲れと、昨日のお昼に食べたカレー南蛮がまだ胃に残っている感じがして、食欲もなかった。必要最低限の家事だけして、天気がいいので散歩兼買い物に行った。
ここのところ消極的外食は控えているのだけど、近所のカフェでブランチをした。テラス席で下半身だけ日光が当たるというとても望ましい状態でぼーっとしたり、本を読んだりした。
平日よりも時間のある休日に自分で食事を作らないのは、贅沢だと思ってしまう。貧乏性なのか、いつもなにかしていないと落ち着かない。やりたいことはやることやってから!みたいな変なマイルールがある。

ネットサーフィンなどは非生産的な行為で無駄だと言われるし、わたしも自分がそういう時間をすごしてしまったときは、あーあやっちまったと思う。
だけど、たまには非生産的な時間(それはひとによってネットサーフィンだったり、読書だったり、なにもしないで空を見つめていたり、といろいろあると思うけど)はあってもいいんじゃないかなと思う。
ふだんなにごとにも感謝できないわたしが、今日のこの非生産的な時間に自然と感謝の念が湧き(だれにだ?)、そしておばあちゃんのぽたぽた焼的な幸せを感じた。もうそんなふうに思えるだけで、どんな時間も無駄ではないような気がするのだ。

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