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海の中を漂うように

むかし、スキューバダイビングをやっていた。けっこう熱心なダイバーだったと思う。
シンガポールに住んでいた頃は、南の島が近いのでまとまった休みのたびに飛行機に1時間くらい乗って潜りに行ったが、日本に住んでいるときは、たまに海外に行くくらいで、ほとんどは伊豆近辺で潜っていた。

日本で沖縄以外の海に潜ったって面白くもなんともないんじゃない? と、ほかのダイバーたちからはよく言われた。だけど、わたしはそんなふうに思ったことは一度もなかった。
そもそもダイビングにはまったのだって、ダイビングスクールに連れていってもらって初めて潜った真鶴あたりの海に感動したからだ。マンタやジンベエ(ザメ)なんか見られなくてもぜんぜん構わなかった。

バリに潜りに行って、マンタがよく出るといわれるポイントに行ったことがある。
マンタ待ちでじっとしているから体が冷えるし、マンタが現れたと教えてもらっても、視界が悪くてマンタがいるのかいないのかよく見えない。
あまりの寒さと不毛さに途中でボートに上がらせてもらった。一緒にいたダイバーたちから「マンタたくさんいたのに、もったいない〜」と不思議がられた。

見るべき魚がいなくても、ぷかーっと水に浮かんでいるだけでわたしは楽しかった。
下を見れば、小さい魚が砂の中のなにかをぱふぱふと無心に食べていたり、ウツボがひとりでぎゃんぎゃん怒っていたりする、上を見れば光があたってきらきらした水面が揺れている、可能な限りそんな光景を何時間でも見ていたかった。

わたしだって、東南アジアの熱帯魚がわんさかいて、サンゴもたくさん生えているような、あったかくて明るい海に潜れば、やっぱりいいなあとは思った。
それに、日本でぶるぶる震えながら潜るよりも、あったかくて肉体的にも楽だ。


わたしには変な癖があって、特別なことよりも当たり前のことを大事にしないといけない、みたいな個人的な「べき論」がある。
だからといって、当たり前の日常に感謝しながら生きているってなわけでもなく、文句を言いながら生きているわけなんだけど。

そんな性分がマンタを軽視し、ひいては華やかな海ばかりに潜り、地味な日本の海をバカにするひとたちを軽蔑しているのかもしれない。もっと足元(=現実)を見ろよ、みたいにわたしは思っているのかもしれない。

でも、わたしだってほんとうに現実を見ているとは言い難い。
ゴミを漁っている野良猫を見かけても、心は痛むがなにもできない。
ピンヒールを履いた女の子が道で転んでも、気を回しすぎて結局どうすればいいのかわからない。

ほんとうは、なにもできない自分を嫌悪するんじゃなくて、そしてなにかをしようと力むのでもなくて、そういうことから解放されたときに、砂をついばむ魚や威嚇してくるウツボををぼんやりと見ているようなときに、自然となすべきことがわかるのかもしれない。

なにものかであろうとするから、ややこしくなる。自分はただ水に浮かんでいる物体であって、なにものでもない。

陸に上がっても、ぷかぷかと漂いながら生きていけるといいのに。


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