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気持ちよくできること

ある特定のことが上手なひとのしごとを見ていると、これだけの実力があれば気持ちいいだろうなと思う。
いや、彼らだってそれほど気持ちいいときばかりではないこともあるだろう、きっと。
画家が「俺が描きたいのはこんなものではなーい!」とか言ってキャンバスを切り裂いたり、陶芸家が「だめだ! 違う!」とせっかく焼いた器をがちゃーんと割ったり。ってテレビに影響されすぎですかね。
実際に彼らがそういうドラマチックな失敗作破壊行為をしているかはわからないけど、どんなに熟練していても、どれだけ才能があっても、気持ちいいことばかりではないだろうことはわかる。
なんだけど、呼吸するようになにかをできちゃうひとを見ると、気持ちよさそうだなと思ってしまう。

気持ちよく絵を描く。気持ちよく文章を書く。気持ちよく楽器を奏でる。気持ちよく歌う。気持ちよく料理をする。気持ちよく掃除をする。気持ちよくスポーツをする。気持ちよくしゃべる。気持ちよく研究活動をする。気持ちよく仕事する。気持ちよくなんたら。

自分には気持ちよくできることって思い当たらない。食べる寝るといった受動的な動作でさえ気持ちよくできない。
同じものを食べたひと全員がお腹を壊すなか自分だけ無傷といった頑丈な胃袋は過去のものとなり、最近はこれは大丈夫かなあれは大丈夫かな、食べ過ぎかななどとびくびくしながら食べている。
死んでんじゃないかと思ったわと親に心配されるくらいいつまでもぐーすか寝ていた10代と違って、寝付きはいいものの中途覚醒してしまうのは年齢的なものなのか不眠症的なもののせいなのか。

いやいやいや、気持ちよくできるものがひとつもないなんて、それではあまりにも残念だ。よく考えよう自分。
といったん下書き保存してべつのことをしつつ考えてみたら、あったわ、気持ちよくできること1個だけ。

家にいることに飽きることがある。いや家にいること自体は嫌いじゃなので、同じ状態が続いていることに飽きているんだと思う。
そういうときにすくっと立ち上がって本を朗読する。なんなら普通に本を読んでいるときでも突然その本を朗読することがある。この場合は読書に飽きているというよりも、声に出したくなる本であることが多い。そういう本はなぜか翻訳本が多い。
たしかにこのときは気持ちがいい。気持ちよく朗読をしている。

これは声を出すことが気持ちいいんじゃなくて、自分じゃないなにかになりきっていることが気持ちいいのだ。
それにだれも見ていない。恥ずかしがることもなければ下手だの上手だの言われることもない。こういうとき一人暮らし万歳っていつも以上に思う。

でもひとが見ている場合でも、なりきることを要請されている場合は容易になりきることができる。
よく研修なんかでロールプレイングやるときも、みんなが照れているなか、わたしはクレーム客とか困った部下、パワハラ上司の役割を本気で演技した。
普段は無口で感情の高低があまりないけど、なりきりを要請されているときに限って照れはあまりないのだ。だから数年前に演者として演劇にチャレンジしたときも面白くてしかたなかったんだろう。
いろいろあってすっかり遠のいてしまったけど、また舞台に立ちたいのう。

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