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饅頭こわい、未熟こわい

今日のBGM:

本当に未熟な人は、
そのことに自分で気づいてない。

周囲のだれもが
「この人は、ここをのり越えないと、
せっかくいいところがあっても台無しだ」
と感じている。

にもかかわらず本人は、
「私なりにがんばってる」、
それどころか「世界が私にいじわるをしている」
と思っている。

だから未熟なのだ。

ほぼ日刊イトイ新聞「おとなの小論文教室。」より

悪いのは自分ではなく、自分以外のひとや環境だと思うようになったのは、大学生の頃だったか。
「なんて楽なことなんだろう」とはっきり言語化して実感してはいなかったが、その習慣にはまっていったから、無意識にそう思っていたんだろう。

それまでは、悪いことが起きると、それはすべて自分のせいだと思っていた。誰のせいにもできないから、自分で受け止めるしかなかった。
かといって、起きたことを自分の中で咀嚼して、次につなげるという知識も能力もなかったから、どよよーんとなった。
時がすぎるのを待つか、逃げ出すか、のどちらかしかなかった。

だれかと関係がうまくいかなければ、「あのひと嫌い」で済ませた。
仕事で評価されなければ、「上司がバカだ」ということにした。
自分が優位に立ちたいときは、ひとの欠点をあげつらった。

そこには劣等感があったのだけど、それと向き合う強さがわたしにはなかった。あるということは無意識のレベルで感じていたのだけど、わざわざ見に行こうとはしたくなかった。だから、それを自分でも感じないように蓋をした。

でも、鍋の中でお湯が沸騰して蓋がカタカタいうみたいに、劣等感は蓋の下でうごめいていた。蓋の下から「出せー出せー」と言われているようだった。いつ吹きこぼれてくるのか気が気じゃなかった。
鍋が吹きこぼれないようにするには、火を弱めるか、蓋を取るかのどちらかだ。
蓋を取る勇気はないから、火を弱めることを選択した。

これは今、述懐しながらわかってきたことで、当時はそんな自分のそういう行動にまったく気づいていなかった。あくまでも自分は善良な人間だと思っていた。
自分が善良で、「世界がわたしにいじわるをしている」と思っていた。

こうして不遜に生きてきたから、テクニック、やり方を身につけることはしてきたが、自分という人間を振り返ることはなかった。
「やり方」は上達するものだから、仕事はそこそこできた(勉強はできなかったけど)。そのことがよりわたしを傲慢にした。

今なら、わたしがたいして出世できなかったのはよくわかる。
仕事ができるとはあちらこちらで言われた。重宝された。
実際、わたしは会社ではマルチプレイヤー的になんでもできたし、新しいことに挑戦したくないと言う社員が多かったのもあり、いろいろなプロジェクトからお声がかかった。

でも、人間としてはどうだっただろうか。
言葉に出しては言わないものの、ひとをバカにしたり、そもそもひとを信用していないわたしのあり方は、外側ににじみ出ていただろう。
そこは見抜かれる。わたしがバカにしていたようなひとにも見抜かれる。
だから、いくら仕事で重宝されても出世できない。
使い捨てのように感じていたが、それも自ら招いたものだったのだ。

そうして自分の未熟さを自覚しないまま何年も生きてきてしまった。
何年もかけて未熟になったわたしは、また何年もかけてそこから抜け出さないといけない。

未熟の反対は成熟だと思うのだけど、そもそも成熟ってなに? すべてにおいて成熟することなんてできるのか?

未熟も同じで、すべてにおいて未熟なひとなんてたぶんいない。
でも、生きていく上で大事なところが未熟だと、結構つらい。
今の時代は、(程度にもよるが)癌を抱えながら生きていくことは可能になった。いつの間にか消えちゃったなんて話も聞く。
でも、心臓が止まったら生きていくことはできない。止まっていた心臓がいつの間にか動いちゃったなんてことは、今のところありえない。

未熟なところがあってもいい。それを抱えながら生きていきつつ、それはいつか消えるかもしれない。消えないものもあるかもしれないけど。
消えなくても、根っこのところがダメにならないような力があればいい。その力が弱まっていればその力を回復させる。

そんなことに気づいたのも、たかだか数年前だから、まだまだ未熟なところがたくさんある。気がつくと、ひとを心のなかでこき下ろしていたりする。前記事でも書いたけれど、そんな、ひとをこき下ろしている時間がもったいない。

すべてが自分の責任だと思うのも危険だと思われるかもしれない。うつなどを引き起こしかねないと。
だが、わたしにも経験があるが、ずっと自分の外側のせいにして生きてきたひとは、エセ自信過剰だから、自分の責任と思わざるをえない状況になると、病んでしまう。なにかに責任を負わせるという逃げ場がなくなってしまうと、自分のなかに入り込んで出てこなくなってしまう。

未熟であると自覚をすればいい。まったく未熟じゃないところがないひとなんてほぼいないような気がする。当たり前のことで、恥ずかしいことじゃない。
だから、こわがる必要はないんだな。未熟の克服を積み重ねていく。みんな、それが人生っちゃあ人生なんだから。

「未熟こわい〜」

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