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引っ張り引っ張られだけど、自分が先に引っ張る

先だってある飲食店で食事をした。テーブルの上がぬれていたので、食券を取りに来た店員さんに「ここ拭いていただけますか」と言ったら、返事もしないで食券を取りに来たときの無表情なまま拭いてくれた。
ありゃ、言い方が悪かったかしらなどと思ったけど、あー、わたしはここで相手がテーブルを拭く以外のなんらかのリアクションを期待していたのだなと思った。「失礼しました」とか「すみません」とか。

とあるべつの飲食店。タッチパネルで注文する以外はセルフサービスではない。おもしろいのが、会計のときに支払い方法を店員さんに伝えたあとは、店員さんはどこかに行ってしまう。「現金で」「ありがとうございます」のあと、すーっと消えてしまう。そのシステムを食べながら見ていて、ええーっ!? と思った。そこまでやるんなら最後までやれよみたいな。
現金だったら目の前の機械に自分でお金を入れて自分でお釣りを取り出し、自分でレシートをもぎる。効率的ではあるが、なんか取り残された感というか、なんとも不思議な気分になる。
後払いの店ならば、お金のやり取りをして、それで「ありがとうございました」「ごちそうさま」みたいなやり取りで完結っていうのが当たり前だという思い込みがわたしにあった。今までどおりの当たり前と違うから違和感をもってしまう。

サービス提供者は、お客に対して感じよく接しなければいけないという固定観念が自分にあることを、最近まざまざと思い知らされる。自分が与える前に与えられることばかり考えている。
でも、コンビニとかスーパーのような、たとえば百貨店に入っている洋品店のようなコミュニケーションをとることがないような店でも、わたしはなるべく感じのよい客であろうとしている(なるべく)。
コンビニのひとがたとえものすごく不機嫌そうに見えるのであろうとも、なるべく明るく「Suicaで♪」と言ったり、商品をもらうときには「どうも」くらいは言うようにしている。たまにとてもとても疲れているときに、すごく感じの悪い客になっているときがあるけど、ごめんなさい。
サービスを受けた側であってもサービス提供者に「ありがとう」と言う習慣がある民族がいるけど ――日本語の「ありがとう」と彼らの「ありがとう」はたぶん重みが違うんだとも思うけど―― 悪くない習慣だなと思う。

とは言え、やはりひとが楽しそうに働いている店には、それに引き寄せられるように気分のよいお客が集まるという現象も見かける。というか、気分がよくなるのだ。
会社のランチにときどき行く中華料理店は、中国人のマネジャーらしき女性がニコニコして出迎えてくれる。はりついたような笑顔じゃなくて、いつもごきげんな感じの。
だから、いつもはスマホを眺めながら気だるそうにしていそうなおねえさんもニコニコして持ち帰りのお弁当を注文しているし、近所のマダムは常連らしくマネジャーと世間話なんぞをしている。
どちらかが笑顔なら、つられて相手も笑顔になることはよくある。ここはそういう店なんだろうと思う。
それとは逆に、はなから挑戦的な態度だと、こちらも戦闘モードに入ってしまう。自分が感じよくすれば相手も気分がほぐれるかというと必ずしもそうではないし。
ともあれ、自分が常にニュートラルでいて相手に引っ張られないでいることが一番楽なんだろうと思う。ここのマネジャーは相手に引っ張られないし、笑顔で相手を引っ張っている。

ところで、久しぶりに某コーヒーショップに行った。前回行ったのはコロナの随分前だったか、だから新しい工夫があれこれなされていた。(シナモンロールがものすごくちっさくなっていて、袋に入った菓子パンみたいな売り方されてたのもそのせい!?)
床には人との距離を空けてねステッカーが貼られていたのだけど、それに気づかないで立っているお客さんがいた。そのひとに対して店員さんがステッカーに従って立つようにと言ったのだが、その言い方が、思わず「あっ、はい、すいません」と素直に従ってしまうような言い方だった。わたしだったら「まったくしょうがないわね、そこに貼ってあるの見えないの!」的な雰囲気を醸し出してしまいそうなんだが。
どんなに丁寧なことばでも、不機嫌丸出しでお願いをすれば、相手もちょっとムッとしたり、ひとによってはキレられることもあるかもしれない。この店のひとがそういう訓練をされているのかどうか知らないけど、見習いたい。

こういうことって、相手をどうコントロールするかというよりも、自分をどうコントロールするかなんだなと思った。
さっき書いた中華料理店のチャーミングなマネジャーに会うとみんながニコニコしてしまうように、どちらかがご機嫌だと相手もご機嫌になってしまうことは多いように思う(不機嫌↔不機嫌も同じ)。
サービスの場に限らずどんな状況でも、「相手が感じ悪かったから……」というのは正当な理由にはならないはず。そういうのは、自分が与えられることばかり考えている「消費者」であることを自ら言っているにすぎない。自分がよりよい状態でいることが先で、相手の状態は、言ってしまえば関係ない。

なーんて偉そうなこと言ってますが、わたしもつい相手の虫の居所に引っ張られたり、逆に自分の不機嫌を顔に出してしまって相手にいらん影響を与えたりしてしまうので、いろんなひとを見て勉強になっとります、はい。

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