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求める見返り

土曜日の朝早く、近所のカフェチェーンに朝ごはんを食べに入った。注文を終えてトレーを持って席に向かおうとしたとき、すぐ目の前を後期高齢者一歩手前くらいの男性が手ぶらでのろのろと歩いていた。席を確保してから注文するのかなと思ったけど、彼はわたしの3つくらいテーブル挟んだ席にそのままどっかと座った。
まもなく奥さんらしき女性が、飲み物を載せたトレーを持ってそこにやってきた。トレーを置くやいなやお食事もできましたーとお店のひとから呼ばれ、奥さんはまたそれを取って戻ってくる。その次は二人分のお水を汲みに行き、それを1個ずつ持ってくる。何回往復するんだ……。

雰囲気的に奥さんも男性とそう変わらない年齢に見えるけど、姿勢がいいし髪もきちんと染めてお肌もきれい。元学校の先生みたいな感じだった。
奥さんが何往復もしている間、夫はなにもしないでただ座ってるだけ。「ありがとう」の一言もない。でも奥さんはなにも文句は言わない。もう長年ずっとそうしていて、それが腹の立つことだという認識もないんだろう。きっと家でも(わたしから見れば)甲斐甲斐しく夫の世話を焼いていると思われる。夫はお茶碗一つ洗ったことがない、妻が女子会で出かけるときは夕食の用意をしていく、たぶん。
お二人はウォーキングの帰りと見られ、二人きりで行動することがいっさいなかったわたしの両親に比べれば仲がいいんだろうから、彼らにとってはこの行動様式はなんの問題もないはず。

このくらいの年齢だと、男性がなにもしないというのはまだあり得るんだろうなと思う。それにこのご夫婦の場合、男性の方が女性に比べてよぼよぼししてるから動くのも億劫なんだろう。それでも、わたしはべつにフェミニストなわけじゃないけど、こういう状況を決して好ましいとは思えない。

この二人が20代だとしたら、さらに強烈な違和感を覚えると思う。ヒモなんじゃないだろうかとか、女性がDV受けてないだろうかとか、あるいは女ばっかり動いて最低な男だなとか思ってしまうだろう。なんなんだこのバイアス。

先だってとある映画を観たとき、本筋とは関係ないシーンだったけど印象的なところがあった。さまざまな国から来たひとたちが男女ペアになって芝居のオーディションを受けるというシーンだったのだけど、ある外国人男性(どこの国か忘れた)はオーディションが終わって部屋を出る際、ドアを開けて女性を先に出すのに対し、日本人の男性は自分だけ先にさっさと出ていってしまった。それが演出だったのか自然にそうなったのかはわからない。

これは文化や習慣の問題なのか、余裕の問題なのか。後ろにいる見ず知らずのひとのためにドアを押さえておくという行動も日本ではあまり見られない。みんな会社とかの顔見知りがいる場所ではやるけどね。

わたしもマナーがいいとは決して言えない。とくに人混みなんかだと謎の負けるもんか魂が発動して余裕がなくなってしまう。
だけど少し前にちょっと心を入れ替えて、譲れ譲れ作戦を始めてみた。我先に電車を降りない、狭い歩道では向こうから来たひとに道を譲る、入口で鉢合っちゃったときは、はいはいどうぞどうぞお先に。
そうするとよほど鈍いひとでない限り、先方の負けるもんか魂も緩和されるらしい。いえいえそちらこそどうぞ的なことになることもたまにある。なにこの現象。

もしかしたら、みんな思ってることは同じなのに負けたくないと思うのは、自分だけ気を使ってそれを当たり前みたいにされるのが嫌だからなのかもしれない。
わたしもドアを押さえてあげてるのに、当たり前みたいな顔されると譲れ譲れ作戦をしているくせに、ちょっとムカつく。親切は見返りを求めるものじゃないって言われるかもしれないけど、わたしは人間ができてないので会釈くらいの見返りはほしい。

だから、男が女がどうこうではなく、カフェにいた夫が「ありがとう」などと奥さんに言っていれば、わたしも他人のことに大きなお世話的な違和感を抱くことはないと思う。ひとにはいろんな事情や彼らなりのやり方があって、できるひとができることをやるってことでいいんだろうな。
まあ、奥さんは見返りなんて求めてないのに、他人がこんなこと言ってほんと大きなお世話だ。民事不介入の原則。

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