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はい、お大事に〜

今日、重い腰を上げて皮膚科に行ってきた。
首に1個だけある小さないぼ(脂肪の塊といわれた)はたぶん20年くらい前からある。あとは顔にある白いポツポツ(稗粒腫というらしい)も、15年くらい前から出現し始めて、最近増え始めている気がする。

首の方はハサミでちょきんと切っておしまい。顔の方は1個1個取ってもらって(ちょっと痛い)、大きいもの以外はあらかた取ってもらった。ちなみに大きいものはレーザーを使用しないと取れないらしく、麻酔も必要になるとのことで今日は見送った。

首のいぼは長年そこにあったので、そこに指で触れても、もうないということにまだ慣れない。けっこう無意識に触っていたみたいだった。なくてもいいものがずっとそこにあったんだなと思った。

わたしはやらなきゃいけないことはわりとすぐにやる方だけど、医療関係事項になると、「いま激痛が!」という状況のとき以外は先延ばししてしまう。
今日医者に行けたのは、ひとえにすごく調子がいいからにほかならない。

すごくじゃなくて、普通に調子がいいと、わたしはいろんなものを整理・処分・変更しまくる。
もうときめいていない洋服は捨てたくなるし、買った当初の自分と今の自分が変わってしまってけっと思う本は捨ててしまう。心変わりして買い直すこともたまにあるけど。
あとは、模様替えというほどではないけれど、ちょっとしたものの配置変更をしたり。
朝コーヒーを飲みながら、クローゼットの整理をしたいといった衝動に駆られることがあるけど、そういうときは、ああ、今自分は調子がいいんだなと思う。

ここ数ヶ月で、コロナとか個人的なこととかでいろいろ変化があったことも、お医者さんにかかることを後押ししたかもしれない。ちょっと床屋に行ってさっぱりしてくるかーとか、あるいは失恋したひとが髪切るみたいな感じに似てるかも。

こういう言い方ってすごくしたくないんだけど、最近、自分の気分を大事にしようかなという気持ちが出てきたのを感じる。

今の住まいはとても気に入っているんだけど、それでもビジネスホテルみたいに扱っていた部分があったかもしれない。どうせ平日は寝に帰るだけだしと思っていた節があったと思う。
だけど、コロナで家にいる時間が増え、家のなかをもうちょっといい感じにしたいと思うようになったのは、自然な成り行きだと思う。

どうせまた猫がぼろぼろにするんだからと放置していた椅子の張り替え修理に出してみたり(2脚の修理で椅子が1脚買えるくらい高くて泣いた)、小さいところではもうだいぶ薄汚れてきた箸を買い替えたりした。

ものもちが結構いいほうなので、洋服以外は壊れたり破けたりするまで使ってしまいがちなんだけど、そこにある不便さとか見た目の悪さとかを完全な無意識で我慢していたような気がする。
使い込むほどに味が出るというものもあるけれど、にじみ出る味とよれよれとは違う。
洗濯はしてあるけれどなんとなくくたびれたシーツよりも、新しいシーツを敷けばやっぱり気持ちがいい。

そんなわけで、自分の体に対しても同じように扱うようになったんだと思う。
痛みもなければ悪さもしないけれど、無意識に触れてしまうくらい気にはなっていたものが体にあるのなら、それらはとっとと取り去って、家の居心地向上と同じように肉体もしたいって気持ちなのかも。

とはいえ、ミニマリストとか意識高い生活とか目指してるわけじゃないし、そもそもそんなセンスもないので、劇的にはあんまり変わんないけど。

来週は便秘外来、再来週は歯医者に行きますよ。って医者通い自慢のばばあみたいだな……。

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