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ひとに頼ることと風土

ひとに頼るということについて、考えさせられることが同時にいくつかあった。
わたしはひとに頼ることがとても苦手で長年の課題なのだけど、未だにプライドなのか気遣いなのかはっきりしないものに邪魔されてクリアできていない。

今、西加奈子さんがカナダ滞在中に乳がんが発覚したときの話を読んでいるんだが、そのなかで友人たちが交代で食事をデリバリーしてくれるなど、色々な面で他人に助けられたという記載がある。
彼女はひとに頼ることはたいへん得意であるらしいが、それでももし日本でこの状況になっていたらお母さんには頼ってあれこれやってもらうだろうけど、だから友人たちになにかをお願いすることはなかっただろうと言っている。
で、これはべつに日本人が不親切ということではなく、自分たちでなんとかしなければという頼む側の遠慮から来ている、と書かれている。それは日本の風土が原因であるとのこと。家族のことは家族内で解決しなければいけないという考え方が、日本ではあまりにも強いからだ。

べつのがん経験者の手記にも似たようなことが書かれていた。アメリカ在住のそのひとは、やはり友人や近所のひとが自然に手を差し伸べてくれて、「今日ごはん持ってくよ」とか「化学療法の日は車出すよ」などと言ってくれたそうだ。
もはやあれよあれよと流される状態でひとに助けられていく風土がアメリカやカナダにはあるのかもしれない。

日本でも地域によって少し違うかもしれない。Twitterで見たのだけど、時間に切羽詰まったなか大阪の梅田で道に迷ったとき(わたしもいつも迷う!)、だれかに道を訊くとたいていのひとはとても親切以上に親切に教えてくれたと言う。
おばちゃんくらいになると、「これからそんな遠いとこまで帰るん? おべんと買った? デパートに買いに行こか?」と言われたそうで、なんかもう笑っちゃうんだけど、こういうひとに拒否されることを怖がらない姿勢はほんとわたしにも少し分けていただきたい。これも親切に流される風土だよなと思った。

前に会社の近くで道を聞かれたとき(東京)、まず「このあたり詳しいですか?」から始まったのにはびっくらこいた。「◯◯ってどう行けばいいですか?」じゃだめなの? そんなことまで遠慮するのも理解できないし、詳しくても普段目に留めてない建物はわからないかもしれないし、変なとこは妙に詳しくて詳細な道順を知っているかもしれない(そのときは「場所にもよるんでとりあえず行きたいところを教えてください」と言った)。
これも拒否られたくない気持ちの現われなのかもしれない。前に冷たくあしらわれたり無視されたりした経験があったのかもしれないし。
こういう状況のとき、もしかしたらおせっかい風土な地域だったら、わからなくてもそばにいるひとをつかまえて「なあなあ、あんた知っとる?」などと言って、ひとを巻き込んでいくんだろう。でも多くの日本人はそれすら迷惑と思ってしまう(わたしもだ)。

わたしががんになって化学療法を始めることになったとき、友人や会社のひとたちが「できることがあったら言ってね」と言ってくれた。でもその後に必ず「できないときはできないって言うから」っていう予防線を張ってくる。これも、無理してまでやらないから遠慮しないでって気遣いなんだろうけど、こっちだって相手が無理と言ってるのに、やってくれるって言ったじゃんなんて怒るわけがない。わたしだって育児や介護で座って食事する暇もないようなひとに負担をかけたくないし、頼むとしても常識の範囲だ。それが彼らの言う「できること」だと思っている。千葉に住んでいるひとに、今から三番町のケーキ屋でケーキ買ってうちに持って来い、なんてことは言わない。

ほんとに彼らの優しい気持ちはわかっているんだけど、声のかけ方ひとつでそのせっかくの気持ちの捉えられ方が変わってくる。でもわたしも当事者にならなかったら同じようなことしていただろうな。
わたしが逆の立場になったらどうだろう。副作用で苦しむひとに産直野菜を送りつけるとかはいじめでしかないので(しないよ!)、とんちんかんな親切を押し付けてしまうより、「今なにがしてほしい?」「今なにが必要?」という言い方にするかな。そうしたら「桃買って玄関にぶら下げといて」とか頼みやすいでしょ。漠然と「できることがあれば……」と言われてもなにができるのかわかんないから。
だから、一番うれしかったのは、治療の合間に引っ越しをしたとき、友人が率直に「手伝いに行くよ!」と言ってくれたことだ。ありがたく甘えさせてもらってほんとに感謝している。

もちろん風土のせいばかりではなく、なにかしてほしかったら自分からお願いすることは基本だと思う。
こちらもTwitterからなんだけど、「『瓶の蓋が開かない』と子どもが言ってきても『そっかぁ』としか返さないけど、『蓋を開けて』と言われたらすぐ開ける」という投稿を見て、ひとが動いてくれるのを期待するのではなく、「助けて」の声をきちんとあげることも重要だと思った。

わたしは結局ネットスーパーなどお金で解決しちゃったし、あとは右隣スーパー、左隣コンビニ、斜め向かいドラッグストアというところに住んでいるので買い物難民になることもなく助かった。
こうやって自分で解決できる状況にあるからいつまでも頼れる力が醸成されないのよねぇ。


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