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直らないぶきっちょからおっちょこちょいを知る

ここ数日おっちょこちょいが続いた。
燃えるゴミをまとめて玄関に置いておいたまま出し忘れそうになったり。コーヒーを淹れる前に沸かしたお湯でカップを温めておいたのに、ほかのことしてたらそんなことすっかり忘れて、電気ケトルを空焚きしてしまったり。なにかをメモをしようと手帳を開いたら30分後に歯医者の予約が入っていることがわかり、慌てて支度をしつつ診察券を見たら予約はそのまたさらに30分後だったり。

ゴミは間に合ったし、ケトルは壊れずにすみ、歯医者にも行けたのでよかったのではあるのだけど、なんかぼんやりしてるなーと思った。
周りからは落ち着いているとか言われるけど、本来のわたしはおっちょこちょいだ。学生のときそれを鋭く見破った友人もいた。指摘されるまでもなくおっちょこちょいを自覚しているので、自分なりに工夫をしてあまりおっちょこちょいをやらかさずにすんでいる。

こうして自分が工夫して乗り越えているもんだから、よく持ち物や予定を忘れるうっかりさんたちのことを、どうしてなにも手を打たないんだろうと不思議に思っていた。もうこれは直らないと本人は言っているけど、治す気がないんじゃないかなどと疑いの目で見たりしていた。

だけど、人間にはどうやっても直らないというものがあるということを、自分のぶきっちょさからようやく理解した。
わたしはぶきっちょぶりはけっこうなものだと思う。
洋服のボタン付けくらいはできることはできるけど、糸の始末は適当だし、場所はほんのちょっとずれているし、要するに付いてりゃいいんでしょ的レベルだ。それ以外の裁縫は完全にできない。
料理にかんしては目玉焼きすらきれいに焼けないし(薄焼き卵はなぜかできる)、料理の盛りつけときたらほんとに目も当てられない。

少し前までは自分のぶきっちょさをそれほど自覚していなかったけど、スマホが普及して画像に残せるようになったり、ほかのひととの比較ができるようになると、自分のあらが目立つ。
そして、あー、そういえば自分はぶきっちょだったっけということを思い出す。

ぶきっちょに加えて雑なところもあるのがよくない。これは子どもの頃ぐずぐずしていると怒られるから、とにかく早くしないとというのが癖になってしまったと思われる(考えてみたら子どもが大人と同じスピードで物事ができるわけないんだけど、大人はよくそのことを忘れる)。
だけど、もう大人だしせっつくひともいないんだからと思って、気兼ねなくゆっくり丁寧にやってみる。でも結果はあまり変わらない。

中華屋さんでは炒めたものをジャっと皿に盛るだけでサマになってるのに、同じことをわたしがすると、とても不味そうな見た目になる。
SNSなどで料理の上手なひとの写真を見ると、いわゆる「映え」ではなくて適当そうに見えるものでも、ちゃんときれいに盛り付けられているし、プロっぽさすら感じる。
盛り付けの本を読んだこともある。中央を高くとか余白がうんたらとか真似してみても、というか真似すらできない。

なので、このぶきっちょはもう直らないと思うことにした。不経済だけどできないことはアウトソースする。
というふうに思い始めたら、自分にも直らないことがあるんだから、おっちょこちょいのひとがどうやってもそれが直らないことだってあり得るんだと思った。
リマインダーを設定しようが、ディスプレイに付箋を貼ろうが、うっかりするときはうっかりする。というか、おっちょこちょい族はリマインダーをかけることすら忘れてしまうらしい。たとえできたとしても、冒頭のわたしのように誤った情報を入れてしまうといったことをしてしまうらしい。

こんだけの数の人間が世界にはいて、みんなが同じことできるはずがないし、できたとしたら逆に怖い。
もうちょっと若い頃、自分ができることをみんなができると思っちゃいけないと上司にたしなめられたことがあって、その時は、はあ? とか思って片方の唇を吊り上げてしまったけど、今思えばおっしゃるとおりでございます。
自分ができる部分にかんしては同じものを相手に求めがちだけど、それをやらないだけで世界は数割平和になるのかもとちょっと反省したのだった。遅いけど。

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