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なんだ、クリエイターのための映画だったんだ。

写真:IMDb

迷いや不安がなければ、時間がなくても自分がやろうと思ったことは成し遂げられる。
逆に、時間がいくらあっても、迷いや不安があればそれを成し遂げられることはできない。

ということを考えていた矢先にこの映画。
アメリカはニュージャージー州の「パターソン」という街に住む「パターソン」という男の一週間を追った『パターソン』という映画を観た。
松山に住む松山くんのある一週間、というところか(面白くない)。

この映画の主人公であるパターソンくんは、みんなから「パターソン」と呼ばれるんだけど、パターソンってなんだか名字っぽくないですか。アメリカって普通ファーストネームで呼ぶんじゃないの? 「やあ、マイケル元気かい?」とかよく言ってるし。(ちなみにパターソンくんの奥さんは彼のことを「あなた」としか呼ばない)

というやや本筋から離れたことが気になり、パターソンが姓なのか名前なのか調べてみた。
その結果、パターソンは名字であることが多いようだけど、下の名前であることもあるらしい。ありがとうWikipedia。だけど、謎は解けなかったよ。
まあ、「よお、松山!」というニュアンスなんだなと理解することにする。


さて、そのパターソンくんはバスの運転手だ。
毎日ほぼ決まった時間に起きて出勤し、お昼にはきれいな公園でおべんと食べて、日が暮れる前に家に帰る。
バスの運転手なのに、土日は休み。早朝勤務とか夜勤もない。ひょっとしてパターソン市のバスは、平日の9時から17時までしか走っていないんだろか。

こんなふうに毎日同じリズムで生活する彼にとって大事なものは、たぶん日常なんだと思う。半径0cmからせいぜい数kmの範囲の日常。
ちょっと天然の奥さんとか、犬の散歩とか、毎晩行くバーのビールとか、バスの乗客の会話とか。それと、詩。

わたしが高校生の頃、あるクラスメートのお父さんが毎日決まった電車で帰ってくるらしいということを、みんなに軽く揶揄されていた。わたしも、よく考えないまま彼女のお父さんのそういう行動をバカにしていた。

判で押したような毎日。それのどこが悪いのかと改めて問われれば、ちゃんとした説明はできなかっただろう。
「変化がなくて退屈しないのかしら」とか「ほかに興味のあることないのかしら」「そういうひとってつまんない」などと、理由にすらなっていないことを言ったんだろう。

わたしたちと違って、パターソンくんをバカにするひとはいない。それどころか、この映画には悪いひとが一人も出てこない。
「ちょっとやなやつ」程度のひとは登場するけれど、多くのひとが持ちあわせている程度のやな感じだ。
なんだかその「ちょっとやなやつ」の人間らしい弱さがにじみ出て、微笑ましくすらある。自分の生活の範囲の中で一所懸命生きていると思わせてくれるひとたちだ。

物理的にはごく限られた範囲で生活しているパターソンくんは、クリエイターでもある。秘密のノートに詩を書いている。仕事を始める前や、おべんとの時間に詩を書いている。毎日毎日書いている。
劇的なできごとなんてそんなにない(でも、彼のこの一週間はなかなか刺激的だった)。みんなと同じように自分の生活の範囲の中で生きている。でも、みんなよりちょっとだけ繊細なその感受性でもって詩を書いている。

心が落ち着いていなければ創作活動なんてできないんじゃないだろうか。
芸の肥やしなんてことも言われるけれど、(女遊びに限らず)芸の肥やしになるようなできごとを芸の肥やしとして捉えることのできるひとは、それはそれでいい。
でも、少なくともわたしは、心がある程度平穏じゃないと、自分にとってのささやかな創作活動(=書くこと)はできない。
平穏とは、自分が日常していることに対して迷いと不安がないことだ。
迷いというのはとにかくやっかいなもので、不安よりも強烈だ。迷いがあるとやりたいことが何もできない。迷いを取り除いたり、あるいは正当化してなかったことにしたりするためにエネルギーを使ってしまうからだ。

その点、パターソンくんには迷いがない。
仕事に特段の情熱を持っているわけではないけれど、「このままでいいんだろうか」なんてことを考え出したりもしない。自分を探していないのだ。
たとえ選択の余地がなかったことの結果だったとしても、今の自分をよしとしている。
自分を認めるとか受け入れるとか、そんなことはまったく意識せずに、大切なものを大切にできている自分をよしとしている。
彼は、ただただ自分の持つ感性をフル稼働させている。そんな彼だからこそ、最後に神様が現れたのかもしれない。

感性をフル稼働できるってすごいことだと思いません? 
芸術のためなら家族も犠牲にするようなひとも稀にいるけれど、おおかたのひとは、自分をも含めたいろんなものが邪魔をして、なかなか感性をフル稼働できないと思う。

感性を邪魔されない生き方を自ら構築しているパターソンくんだからこそ、彼はクリエイターであり続けられる。
それはものすごく幸せなことなんだ。

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