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サンドイッチと時代

朝の散歩兼買い物の途中で猛烈にお腹が空いたので、通りがかりのお店に入った。9時前から開いているお店は貴重。最近飲食店にしては比較的短時間の営業のお店が増えたけど、朝の7時や8時から開いているお店はチェーンのコーヒーショップなどを除いてまだまだ少ない。現代人は夜型の人間が多いからだろうか。

その通りがかりの店は、朝の時間帯はサンドイッチやピザトーストが食べられるようだった。ちょうどサンドイッチが食べたかったので頼んだ。
ランチには「地元野菜を使ったスパイスカレー」的なものを出すようなので、こだわりのパンに個性的な具材のサンドイッチが出てくる可能性もあると思っていたところ、思いがけず普通のサンドイッチが出てきて、その日はそういう気分だったのでうれしかった。

大昔にスキー宿で作ってもらった、からしマヨネーズのきいたサンドイッチが妙においしかったのだけど、それとちょっと似ている。からしはあんまりきいてないけど、バターとマヨネーズが塗られた角食パンで普通のハムとレタスをはさんだもの。食べやすくてよろし。
しかし朝の時間帯とは言え、ほかにお客さんがいなくて大丈夫だろうかと余計なことを考えるが、もしかしたらこのお店が入ってるアパートの大家さんなのかもしれず、あまりがつがつしないでもやってけるのかなと勝手な妄想を膨らましつつもぐもぐいただく。

さて翌日には具沢山で「映える」系の部類に入ると思われるサンドイッチを食べた。
お店のサンドイッチすべてが具材たっぷりめのボリューミーで、なるべく少なめのものを選んだけどやっぱりボリューミーだった。

わたしの子ども時代(昭和)にはこういうタイプのサンドイッチはなかった。
「映える」という概念ももちろんなかったし、市販のサンドイッチも見えるところだけ具をはさんで、端っこの見えないところはなにもないというものが大半だった。今はこういう「映え」系でもコンビニでも、一応すみずみまで具がはさまっていて、見かけで騙さないという意味では良心的になった。

サンドイッチだけじゃなくて、今はカレーもパスタも驚くほどいろんなものがある。
母の通った学校では、家庭科で作る料理が当時としてはハイカラなものだったらしいので、実家ではわりに洋風の料理が多く出されていたけど、それでもスパゲッティはミートソースオンリーだし、それにはマッシュルームじゃなくてしいたけが入っており、しかも干し椎茸だったのでその戻し汁も入れちゃって、今食べたらなんだかなあって感じかもしれない。
トマトの水煮缶なんてのもまだ一般的に売ってないからトマトピューレに頼っていたし、オレガノやバジルなんて「なんですかそれ?」という時代だった。

そんな感じでスパイスや調味料などが今ほど豊富じゃなかったので、麻婆豆腐は麻婆豆腐の素に頼るしかなかったけど(それだって1〜2種類しかなかった)、当時まだ食に厳格だった母は子らに麻婆豆腐が食べたいと言われると、意地になって高級スーパーで豆板醤や甜麺醤を買ってきてなんちゃって麻婆豆腐を作ってくれた。

カレーだって当時はカレーといえばりんごとはちみつがとろ〜り溶けてるとろみのあるカレーが普通だったけど、今はめまいがするくらい各国のカレーが食べられるし、国内においてもスープカレーを始めとするたくさんのカレーが料理人の創意工夫によって開発されている。

今の子どもは幼いうちからいろんな食経験を積んでいるんだなと、とくにそれに対して感想はないんだけど、回転寿司もなかった時代に子どもだったおばさんは、そうとは言えものすごく時代が変わったという実感はあまりない。
毎日自分の顔を鏡で見ていると変わったことにあまり気づかないのと同じで、世界は日々進化しているけど毎日そこに身を置いていると、あの頃はネットがなかっただの、携帯電話がなかったなどと改めて過去を振り返りでもしない限り変わった変わったと盛り上がることもないのだ。

わたしが子どもの頃に50〜60歳あたりだったひとたちは戦争経験者であり、こっちから見たら想像し難い世界にいたわけだけど、彼らはその変化をどう捉えていたのか。
当時の変化と今の変化はその質が違うから一概に比べようもないのだけど、物事の変わりようを実感していたのか、それともやはり毎日変わっていく世界のなかにいるからわたしと同じようにあまり感じずにいたのか。もうちょっとそういうことも聞いておけばよかったね。

さて、さらに翌日もサンドイッチを食べたのだが、これは飲み物を頼むと無料でついてくるトースト&ゆで卵を卵ハムサンドに変更したものだった(格安だけど有料)。
飲み物にモーニングセットが付くのは岐阜・愛知あたりの文化らしいのだけど、やはり昔愛知県の親戚を尋ねていったとき、喫茶店で飲み物を頼んだらゆで卵が問答無用で付いてて、なぜゆで卵……? と思ったのだが、こういうふうに文化が流入してくると地方に行って驚くことも少なくなるんだろうな。

体を動かさずしていろんなことを知ることができるのは面白いけど、あまりに事前情報が多すぎると想定内のことが多すぎて刺激が少なくなるかも。
想定外を楽しめるのか、失敗しないようにするのか。それはひとが経験というものをどう捉えるのかによるんだろうな。食べること程度のことだったらどんな経験も楽しめるといいね。

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