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化粧を落として考えてみる

初めて化粧をしたのは、中学生か高校生のころだったか。四つ違いの姉がしてくれた。べつに頼んでないのに。
姉はお人形さん遊びでもしたかったんだろうけど、手元にないのでわたしがお人形になったんだろうか。

なんだか変なにおいのするファンデーションを塗りたくられて、肌は余計に汚くなった。
アイシャドーで色がつけられた一重まぶたは、余計に腫れぼったく見え、眉毛はげじげじのように太かった。
安っぽいピンクの口紅は、色黒の自分にはまるで似合わなかった。

化粧ができあがった顔を鏡で見て、ものすごく違和感があった。
自分の顔にはまるで自信がなかったけれど、これなら化粧しないほうがまだましなんじゃないかと思った。

しかし、大人になれば、へたくそな化粧であっても、化粧された顔でいる時間のほうがすっぴんでいるときより長くなる。
化粧をしている顔が当たり前になり、なにもしていない顔の方が不自然に見えるようになる。

そして、いったんできあがった自分なりの化粧メソッドを長年見直すこともなく、もうちょっとましに見える方法があるかもしれないのに、なにも考えずに何年も何年も毎朝同じ化粧を施すようになる。


日常的に化粧をするようになったのは、学校を卒業して社会に出たときだが、足を踏み入れたばかりの社会では、「えっ?」と思うようなことが多々あったように記憶している。

義務教育から「正直」であることは「いいこと」で、常に正直であるべきだと言われて育ってきた。
だけど、学校じゃないところでは、正直だけでは実績を上げられないらしいことに、「えっ?」と思った(世の中すべてがそうではないと思うけど、わたしが通過してきたところではそうだった)。
あまり罪のないものから社会問題になってしまうほどのものまで、ありとあらゆる嘘をつくことが社会(組織)では「いいこと」とされる。

素直でいることは、学校でも社会でも同じ「いいこと」だった。
「今までこうだったからこうする」「先輩がこう言ってるからこうする」ということは、疑問を挟まずに了承するのが素直であることだった。


やり方や常識は状況によっても変わるし、時代によっても変わる。
例えば、ちょっとややこしいことが起きたとき、メールではなくて、訪問したり、せめて電話したりすることが礼儀であると信じてやまないひとがいる。そういひとは、相手にも同じように直接的なやりとりを求めているのだ。
かたや、電話や訪問なんかされて、時間を取られたくないと思うひともいる。
直接話すことばかりにこだわっていると、ものごとが終息するのが遅れる。
メールで訊いてんだから、メールで答えてよ〜(泣)って思うこともよくある。

「俺を通せ」って序列にこだわる課長もいれば、「あ、そういうことだったら直接部長に言ってもいいよ〜」なんて課長もいる。
後者は手抜きじゃんと思われることもあるかもしれないけど、いらん手続き踏むこともないんだと思う。
ただ、それをやるには、部下を信頼していることと、部下が部長に変なこと言ったときに対応できる覚悟が必要なんだけど。

いったん染み付いた自分なりの常識っていう化粧を落として、定期的にすっぴんになってものごとを考えないといけないなと思う。
とくに40代も後半になると、頭は固くなる一方なので。

ところで、わたしは化粧することを7年前にやめた(眉毛だけはかいている)のだけど、それも考え直すことがあってもいいのかもしれない。
いや、楽ちんなのでたぶんしないけど……。

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