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足す&引くのバランスが取れない

すっごく昔に「なにも足さない、なにも引かない」ってウイスキーのコマーシャルがあった。

https://youtu.be/9HzF2a0gefc

人間はそういうわけにもいかなくて、足したり引いたりしながら生きていかないといけないわけだけど。でも、お坊さんになったらこのウイスキーのように生きられるのかしら。

あり方的にはともかく、やり方的にわたしは「足さない」というか「引く」のが好きである。
普段から複雑なことが苦手。あれこれ根回しが必要な仕事とか、裏があるんだかないんだかわからない人間関係とか、たくさんの種類の調味料を使う料理とか。こういうのはたいていうまくいかない。頭が単純すぎて、いろいろなことが組み合わさったその結果を想像する能力がないからなのだ。
だから、なにかを「足して」自分周りのことを変えるとなるとまったくやる気が出ないんだが、今あるなにかを「引く」のでいいんなら俄然やる気が出る。

今週はある本に触発されて、自分周りからいろいろなことを引いて、ますます単純化した。今回はデータ化できるものをデータ化することに注力し、ついでにやはりちょこちょことした使わなさそうであるものを整理するなど。
引越してからこんなことばっかりやっている。そしていつ終わるのか? 物を手に入れるとき、あるいは引越しのようなタイミングで自分に対してきちんとフィードバックをしないと、不用品はいつまでたっても増え続けるし減らない。

そんな反省も踏まえ、データ化をする前に、スキャンしてまでとっておきたいかと自問自答してさらに少しだけだけど書類が減った。
それをちゃんとやらないでただ闇雲にデータ化しても、ストレージ内がまた汚部屋状態になるだけだ。空間を占める物としては存在しなくなるけど、視界に入らないようにしただけになってしまう。

こんな感じで「引く」ことに命をかけていると、わたしのようにバランスの悪い人間はだんだんとおかしなことになってくる。
ひとから相談めいたことを持ちかけられても、「やりたかったらやればいいじゃん」とか「嫌ならやめれば?」ということしか言えないので、嫌われている。以前はもう少し相手の気持ちに寄り添おうと努力してた気がするんだけど、最近は前頭葉が萎縮し始めているのか、イエスかノー、ゼロかイチという受け答えしかできなくなっている。
遊びの部分があるのを好むひとが多いので、少し無駄な合いの手を入れるよう心がけたほうがいいかもしれない。

遊びのない受け答えの背景には、前頭葉の萎縮もあるんだが、自分の人生をひとに預けてどうすんじゃといういら立たしさもある。
やるかやらないかは自分で決めたほうがいいし、きっと自分ではもう決めているはずだと思う。だからやるorやらないのどちらか自分の望む決断に誘導してほしいだけなんでは。やりたいなら背中を押してもらいたい(それならそれで押したくなる)、やりたくないならやらなくていい理由を与えてほしいんじゃないのか。
自分の決意はほぼ固まっていて、いろいろ調べたけど考えられるリスクがあれば教えてという訊き方なら(訊く相手を間違えていなければ)理解できるけど、どうすればいいかと言われても知らんがなだし責任がもてない。

あらっ、なんでこんな話になっちゃったのかしら。話があちこちに飛ぶのも前頭葉の萎縮なのかしら。
ちなみに本日のデータ化により、狭い家に10cm幅程度のスペースが新たにできて満足している。

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