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「生活のたのしみ展」はこわくなかった

先だってこんなことをつぶやいたのだけど。

行ってきましたよ、最終日に。
人混みが苦手、買いたいものがない、文化祭的雰囲気になじめないから行くのがこわいと言いつつも、前回のnoteに「楽しめますよ」というコメントを頂戴したのと、気がすすまないけど気になるものには行ってみるのもアリだと思ったので。
雨のため規模を縮小して屋内での開催ということでしたが、結構な数のひとがいました。

限られた空間に出店ブースが並び、買い物客はおのおの興味のあるブースで品物を手に取る。混んでるからスムーズには見られない。なのに、自分がまったくイライラしなかったことが不思議でした。われ先にというひとも見かけなかったし、商品を雑に扱うひともいなかったからです。
わたしが人混みにいることが得意じゃないのは、大勢に紛れて変なことをするひとを見てしまうからです。
バーゲン会場とか、満員電車の中とか、土日の新宿などは、買うのも立ち止まるのも行きたい方向に行くのも戦いです。礼儀正しくしていたら負けてしまう(目的が達成できない)から、変なことをしないでいることが難しい。
だけど、「生活のたのしみ展」には、少なくともわたしがそこにいた限り、変なことをするひとはいませんでした。そして、ちゃんと待っていれば、順番にお店のひとに対応してもらえます。体が半透明になってるんじゃないかってくらい存在感のないわたしは、お店のひとに気づいてもらえないことが多いので、これはありがたかったです(感涙)。
こういう混雑の中の秩序はどうしたら実現するのかしら。わたしもサービス業にかかわっているので、解明してみたい。
ということで人混み問題は、(ちょっとだけ疲れたけど)心配していたほどではありませんでした。

それから物欲問題。これはまったくの杞憂に終わりました(^^;
大橋歩さんのイラストTシャツ(黒地に真っ黄っ黄のゾウがかわいい)、Ponte de pie!の靴下(シックな色合いの緑色)に、数年前に気仙沼に旅行したときに行くことが叶わなかった斉吉商店さんでおいしそうなものを数点(炊きたての御飯で食べたい)。ついでに、東京台湾の魯肉飯弁当(おいしかった)。……結構買いました。
物欲が復活したのかと思って、帰りに恵比寿のアトレと新宿伊勢丹に寄ってみたけど、やっぱり何も買いたいものがなく、というか見たいお店もなく、とっとと帰ってきました。
この買いたくなるマジックはなにかしら。わたしもサービス業に……以下前段と同文。

そして、文化祭になじめない問題。
実は第1回目の「生活のたのしみ展」にも行ったのですが、そのときは何も考えずにふらっと行ったのです。
でも、今回の「生活のたのしみ展」に行くことを躊躇してしまったのは、事前に情報をたくさん見てしまったからです。それはイベント自体の情報ではなく、裏方の情報です。文化祭的な高揚感に包まれているようにわたしには見えました。
そんなのを見てしまうと、自分は単なる買い物客だけども、ここにふさわしい客だろうか、なじめるだろうか。そして何よりも、場違いなところに来てしまったときの疎外感を避けたかったのです。
で、それもまた杞憂に終わったわけですけど。

当たり前ですが、現場にはたくさんのスタッフさんがいましたが、いろんなタイプのひとがいるのが興味深かったです。
「ほぼ日」らしい(あくまで勝手なイメージですけど)ひとがいるのはもちろん、やさしそうなひと、テキパキしたひと、ほんわかしたひと、せっかちなひと、愛想のよいひと、効率優先のひと……。

会社などの組織に、同じようなカラーのひとたちが集まっていることがあります。あり方がふにゃふにゃしておらず一貫している組織(まさにほぼ日みたいな)ほど、似たようなひとたちが集まってきて、そうじゃないひとはいてはいけないものだと思っていました。

だけど「生活のたのしみ展」に行ったら、そうともかぎらないのかもしれないと思いました。その文化祭的なノリについて行けなくても、自分だけ少し距離を感じていても、ちょっと異質かもと思っても、たいていそれは思い込みだし、自分がそこにいたいと思ったのなら、へんな空気を読まずに、自分が納得できる働きをすればいいだけなんだと思いました。

ひとのもっている力ってそれぞれ違って当たり前ってことをどうしても忘れがちです。
どこにでも居場所はあるし、自分なりのやり方でそこにいればいいのに、こういうのがよくてこういうのはダメだという先入観にとらわれているから、劣等感や疎外感をもつんですねと思うに至った「生活のたのしみ展」はぜんぜんこわくなかったのでございました。

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