見出し画像

経験と想像力

スカッとしたアメリカ映画が観たくて、スカッとしてそうなアメリカ映画を観た(家で)。

アメリカの大手メディアのスキャンダルを描いた作品で、左遷された所属キャスターがセクハラでCEOを訴えてあーだこーだという話。まあまあスカッとしてたかな。

この話のなかで、売れっ子キャスターも含め、クビになることを恐れて自分が正しいことをするか否か悩むひとが多いのが意外だった。
一流のキャスターならフリーでもやっていけるじゃんとか、スタッフでも大手メディアでキャリアを積んだなら転職も簡単じゃんとか、事情をよく知らないわたしは思ってしまう。だけど、TVに出てるようなひとは他所でひと悶着あったひとはどこも雇わないとか、いろいろあるみたいだった。

主人公の一人が逡巡の末、正しいことをしようと決心するんだけど、自分がクビになるだけならまだしも、部下なんかもいっしょくたにクビにされちゃうような状況で、そこで出鼻をくじかれていた。
会社組織というものは個人の生活を人質にし得るのは万国共通で、ちょっと怖い。

家族や部下など守らなければならないひとがいるという意味での責任を有している場合、言動がある程度制限されたものになってしまうのはわかる気がする。
上にへこへこしてるばっかりの上司がさー、なんて話はよく聞く。その上司が保身のためだけの場合もあるだろうけど、もしかしたら自分の率いるチームのことを考えて、太鼓持ちっぽくなっていることもあるかもしれない。上司である彼/彼女が会社から目つけられたら、部下たちも同様に思われて仕事がしづらくなったり、あまりよくない処遇を受けるんじゃないかとか、そういう配慮があることもあるのかも。いや、ないかも。どっちだ。

わたしも昔プロジェクトを率いていたときには自分のひと言多い癖を抑制したことがあったっけと思い出した。このときに、出世するにつれて保守的になっていくひとの気持ちが少しわかった気がしたんだった。平社員は責任がないし、その大変さも知らないし、だから(裏で)好き勝手なこと言えるんだねと思った。でも公には言わないところが無責任である。
勤め先で偉くなった友人は、(裏で)文句ばっかり言ってる平社員は視座が低いんだよねって言っていたけど、まあそれはある意味しょうがない。経験がないから知らないんだもん(自分もそうだった)。

経験したことないことは基本的にはわかり得ないと思っている。だけど想像力によって多少は経験を補うことはできる(個人差はある)。
とは言え、実際に経験したときの腑に落ちた感や納得感は、想像だけでは得られないものだ。だから、やっぱり経験しないと真には理解できない。

その想像力の一部もまた経験から生まれるのかもしれない。ある他者と直接的に同じ経験じゃなくても、自分がした違う経験と結びつけて他者の立場を想像し、理解を助けることができるようになることもある。
だからずっと受け身で生きてると、文句ばっかり言うようになっちゃうんだよなー。
わたしも最近なにもしてないから危険だ。気をつけよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?