他人の靴を履いてはいけません
「いい子になれますように」
七夕の短冊にわたしは毎年そう書いていた。
サンタクロースがいることを6年生まで信じていたが、この七夕のお願いごとも6年生まで毎年書いていたように記憶している。
なにをもって「いい子」とするかにもよるが、今思えば基本的にそれほど悪い子ではなかったと思う。
姉が子どものころからとにかく落ち着いていたので、家のなかではわたしの普通の子どもらしさが悪目立ちしていたのだと思う。
友だちが家族だけでいるときの振る舞いを見る機会はなかったけど、おおかたの子どもはおんなじような感じだったと思う。
手に負えないほどやんちゃというわけではなく、親たちから愛情半分、からかい半分で生暖かく叱られていたという程度だ。
だけど、姉がデフォルトだと思っていたわたしは、とにかく「いい子」になりたかった。
外でわりかしお行儀よくしているときと同じように、家のなかでも「いい子」に振る舞える人間になりたかった。両親や姉に子ども扱いされることのないようになりたかった。
べつにそんなこと思いつきもしなかったけど、わたしの書いた短冊を見て、「今でもいい子だよ」なんてことを言う大人は皆無だった。そういう時代だったのだ。
だれかをお手本にしたり目標にしたりすることは、悪いことではない。
だけど、人間はひとりひとり違う。性格も、肉体も、得意なことも、完全に一致する人間はたぶんいない。
起業に向いているひともいれば、公務員で自分の持ち味を活かせるひともいる。
表に出るのが向いているひともいれば、裏方で活躍するひともいる。
あなた、あなたない人の靴を履いてはいけない。あなた、あなたの靴で生きてるあいだ歩きなさい。さらば、あさにけにかたときさらず、ハッピ過ごせるざんす。ハッピの人のそばいる人、いやな気分ならない。
六年生の泉(せん)ちゃんに、貂のような「ムード」のひとがこう諭す。そして泉ちゃんは、自分にちょうどいい靴を履き始める。
泉ちゃんは、ひとやあらゆる欲に対しては控えめだけど、自分がどんな靴をはくのかということにだけは貪欲だ。
周りからなにを言われようが、絶対に靴ずれしないように。
泉ちゃんは、ぴったりの靴を履くことで泉ちゃんはもちろん、周りにいるひとも戸惑いながらも「ハッピ」になる。
周りが戸惑うのは、自分らと靴の選び方が違うからだ。わたしも実際に泉ちゃんに会ったら、戸惑うだろう。
ドラえもんにタイムマシーンを借りて、短冊に願いごとを書こうとする自分にも言ってあげようか。
「あなたの靴で歩くがいいざんすよ」と。
……うーん、当時のわたしにその言わんとすることを理解できる頭があったとは思えませんな。
何十年も靴ずればっかりできてたけど、そのこともべつに後悔はしていないのだ。
読んだ本:姫野カオルコ『リアル・シンデレラ』(2010年、光文社)
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