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無謀で臆病

臆病と慎重って違うよな、と先だってふと思った。一般的に、経験がない場合に臆病になり、ある程度経験を積むと慎重になると仮定してみた。無謀と大胆についても同じだとする。
臆病も無謀も経験が浅い故に何をやったら何が起きるかわからない。わからないから臆病になるか、わからないから大胆になるかはひとにもよるし、状況にもよると思う。

仕事の場だったら、臆病のひとは自分で判断できず、いちいちだれかに確認しなければ進められない。臆病はべつに注意深いというわけではなく、ただ単に怖いだけ。命に関わるような業務の場合は臆病なくらいがいいかもしれないけど、そういうわけでもないのに自分で判断してやってみようとはせず、一つ一つ具体的な作業を教えてあげないとできないからなかなか仕事ができるようにならない。
昔、銀行に新卒で就職した友人が、なにかを訂正するのにさまざまな手続きがいることを知らず、訂正の処理だけしたら先輩に注意されたと言っていたが(そういうことくらい事前に教えておけよと思う)、銀行というきっちりしないといけないところでは本人にとっては普通でも結果的に無謀な行動になってしまう。ま、わたしでもやっぱり同じことやっちゃうと思うけど。

経験がちょっと積まれた段階になると臆病になる割合が増え、無謀は減少する。
この段階の傾向としてものごとを複雑にしがちで、また年齢的にも社内での地位が形式的にも実質的にも確立されるので、規範や手続きをやたらとつくりたがるようになる。
かく言うわたしもそうだった。ここは義務教育か? ってくらいガチガチ決まりをつくったり、みんながめんどくさいと思うに決まってるプロセスを平気で増やしたりした。秩序を維持しようとするためにかえってカオスになるという皮肉。

で、さらに経験が豊富になると、どこまでならアウトでどこまでならセーフなのかを経験値によって知っているから、慎重、または大胆になる。
でも、これはそれなりに経験を積んだひとであって、居心地のいいルーチン仕事のみにとどまっているひとは、業務歴が長かろうがここには至らないような気がする。そういうひとはいつまでたっても臆病でちょっとしたことで騒いでいる。

お料理なんかもそうで、経験がないうちは加減がわからないから分量とか焼く・煮るなどの調理時間もきっちりレシピどおりにしないとできない。応用ができないからアレンジもできず、料理のレパートリーもまだ広がらない段階。
経験を積むようになってくると、レシピは食材の組み合わせのヒントくらいにとらえ良くも悪くも適当につくるようになる。
まだ料理がほとんどできなかった子供の頃、本を見ながらサラダを作ったら、ドレッシングの分量を間違えて(大さじと小さじを間違えたとかそんな感じ)、とてもまずいドレッシングができてしまった。料理の経験がそこそこあればこの配合はおかしいと思うのだけど、ひたすらレシピどおりにしか作れなかった当時はわからなかった。
臆病であってもうまくいかないことはある。

わたしは基本的には臆病か慎重なんだけども、たまに超無謀なことをすることがある。
今まででいちばん無謀だったのは、英語もろくにできないのに海外(マレーシア→シンガポール)で就職しちゃったことだ。とくに最初のマレーシアではほんとに泣いた。中国語(マンダリン)が少しできたのだけど、マレーシアのわたしのいた地域で話される中国語は主に広東語だったので、中国語でのコミュニケーションもできない。
毎日日本から持ってきたNHKの超初学者向けのテキストを読んだり、その付録のCDを歩きながら聞いたり、頭に浮かんだ考えを脳内で英語に変換したりした。そういうレベルで行っちゃうなんてありえないでしょ。
異動でシンガポールに移った頃には仕事では英語もまあまあ使えるようになったし、そこでは中国語も通じるのでなんとかなった。しかも中国語をしゃべる日本人ということでちょっと面白がられて得をした面もある。
でも最初の数ヶ月は、日本に帰って普通の暮らしがしたいとそんなことばかり考えていた。何事も長続きしないので1年ももたないと思ってたら3年半もいた。
その当時、実家以外で3年以上同じところに住んだことも同じ会社に勤めたこともなかった。悩んでいた当初の数ヶ月も不思議と鬱にもならなかった(帰国後にはちょっとしたことで軽い鬱になっちゃったのに)。
周りからは大胆ねと言われたけど、自分では超無謀だったと思う。結果的にいい経験となったのでまあいいんだけど。

今も海外に住みたい願望はあるけど、仕事、健康面、経済的なことなど現実的なことを考えるとまず無理だろうなと思っている今はただの臆病なおばさんになってしまった。

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