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休みの日

去年に引き続き緊急事態宣言下でのゴールデンウイークが何日か前に終わった。わたしは引きこもり傾向があるので、例年とあまり変わらないんじゃないかという気もする。
友だちと遊びに行きたい! 飲み歩きたい! と言っているひとにはつらい時期だよなあと思う。
わたしはそういうのもないし、かなり環境に順応しちゃうほうなので、緊急事態宣言とか自粛生活についてはほぼなにも感じない。

そんな感じで今年のGWは(も)毎日午前中に普段掃除しないところを一箇所ずつ掃除した。
一人暮らしなのに毎日毎日洗濯した(大物をいっぺんに干せないということもある)。
毎日7km〜10km歩いた。
公園でパンを食べて本を読んだ。連休中は一日一冊のペースで本を読んだ。仕事で頭が疲れていないのと読みやすい本なのとでするする読めた。
わたしの期間限定のルーチンと同様に、天気も午後から崩れることのがパターン化していた。雨に降られ風に吹かれながらも、あちこちで咲いているお花や野良にゃんこたちに出合った。

それらはそれらで小さな幸せなんだけれども、なにかこれでいいのかなとも思う。休みなんだから好きに過ごせるというとき、なにしていいかわからなくて、結局掃除と読書と運動しかしていないこの状況でいいのだろうかと。

休みなのに仕事したとか旅行に行ったとか、そういった動きのデカイもの、そういうことをしないとやった感が得られないのはなにかの強迫観念なんだろうか。

去年までは社会人大学生でもあったので、休みになれば課題をやらなければならずいつも時間に追われている感じがしていたけど、それが今年はないので、時間に空間ができて戸惑っている。

やることに追われているときは読みたい本も読めないと思っていたけど、それから解放されて山のように本を読めてもなんだか物足りない。
勉強をもっとしたいと思っているけどなにもしていない。勉強なんて自分でできるしそうすればいいんだけど、レポートや試験のような強制的なアウトプットの場がないと勉強できないという受け身な人間なのだ。
仕事は嫌だけど、一方で歳をとっても何らかの形で仕事はしていたいと思うのと似ているのかも。強制されたくない一方で強制されたい。

この期間に読んだ本のなかで、生活を変えたことで家事に喜びを見つけたみたいなことが書かれていた。
家がきれいになるのはうれしいけど、わたしは今のところあまりそういうふうには思えない。家事は趣味とかライフワークとか呼ぶことすら躊躇する、ただの作業だと捉えている。家事を軽んじているわけではないけど、自分にとって意義あるものではない。
それに、そのうち定年退職してパートタイム的に仕事もせず完全リタイアして、家事が素晴らしいというだけで生きていられるかな。その状態にずっともやもやしながらも状況を打開できず死んでいくのかもしれない。

サドっぽいんだけど、満ち足りているよりも病気にならない程度にストレスがある状況のほうがやってる感が得られる人間になってしまったと感じる。日常に多少不満があったほうが、自分の責任もどさくさにそこに紛れ込ませることができるからかもしれない。
自分で生きていないと感じた。

***

【連休中に読んだ本】

だれかが紹介してた。かなり好き。
台所のラジオ

とにかく長い、かつ読みやすいやつが読みたくて。
ホワイトラビット

なんか心に響く一節があったんだけど忘れた。
いつか王子駅で

これもだれかの紹介で。内容はおもしろいけど文体が微妙。
クラスメイトの女子、全員好きでした

育児も介護もしてないなあ。わたしもぎりぎりまで部屋の電気つけないけど。
全員悪人

一生の夢であるアフロにやっぱりしたくなった。
寂しい生活

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