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二人乗り

道を歩いていたら、後ろに子どもを乗せた自転車が通りすぎていった。
自分は親の自転車の後ろに乗るのは幼稚園卒業とともに卒業したのだったことを思い出す。いや、小学校1年生のときになにかの理由で学校に遅刻しそうになって、親が自転車の後ろに乗せて学校まで送ってくれたことがあった。ものすごく恥ずかしかったけど、幸いだれにも会うことはなかった。あれが最後だったと思う。

子ども用の荷台じゃない二人乗りというのも、最後にしたのはいつだったか。20代かな。
友だちとか彼氏とかと二人乗りして運悪くおまわりさんに遭遇したりもしたけど、「やめなさいよ」と言われるだけだった。
二人乗りって漕ぐほうはたいへんだと思う。重くてごめんと思いつつ後ろに乗ってるとすごく気持ちいい。非力なわたしはもっぱら後ろに乗るほうだった。

できなくなったわけじゃないけどしなくなったことってたくさんある。べつにいちいち数えないけど。その代わりできるようになったことも多い。
ある年齢まではできるようになったことができなくなったことよりも圧倒的に多くて、いっとき我が世の春みたいに勘違いするんだけど、あるタイミングからそれが徐々に逆転していくんだろう。そういうときに人間は謙虚になっていくのかな。
うちの母親は子ども(わたしね)ができないことをさんざんバカにしてきたけど、ちょうど親の我が世の春みたいな時期と子育てが重なったからそうなったんだろうかと今は思う。年老いてからは立場が逆転し、子から復讐されることも知らずに。ふふふ。

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そういや体力は衰えているはずだけど、ここんとこ歩く距離は増えている。こんなの歩けないよと思っていたのは歩く距離ではないという思い込みがあっただけで、歩いてみれば日常的に歩けるようになっている。
これと同じでやる前にできないと思い込んでいることってたくさんあるんだろうと思うけど、やってはみるもののどうひっくり返っても自分には無理ということはある。
わたしの場合は手先の器用さが問われることは概ね無理ということがわかったので、どうしても挑戦したいという情熱がある場合以外は外注する。
IKEAの家具も組み立てられる自信がまるでないし、DIYなんて論外である。編み物や裁縫の類(ボタン付けだけは出来栄えはともかくかろうじてできる)とか、味だけでなく見た目も重要な手の混んだ料理やお菓子とかも絶対無理。

てなことを考えながら引き続き道を歩いていたら、スーパーカブの後ろに乗った子どもがひゃっほーと言いながら手を振っていた。楽しそうだねえ。

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