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Twitter、今日もありがとう

可能性としてものすごく低いけれど、とても信頼できる家族ができたとしても、あるいはなんでも話せるパートナーと一緒にいるようになったとしても、わたしは相手に自分の気持ちを共有、あるいは理解してもらおうとすべてを話そうとはしないんだろうなと思う。

先だって、昔勤めていた職場の後輩が連絡してきた。話したいことがあるから会わないかとのことだった。
話したいことというのは、べつになにかお願いしたいことがあるわけでもなく、重大な報告というわけでもなく、ただの近況報告であろうことは察しがついたし、会ってみればそのとおりだった。

わたしはその後輩のことは好きだ。ちゃんと勉強してきたひとがもつ頭のよさとか、もってる力を出し惜しみしないで常に成長しようとしているところとか、ある部分においては自信があるけれど決してそれを鼻にかけないところなどを含めて。

「会おうよ〜」とか連絡しておきながら、「都会ってわかんないから」などとうまいこと言って、日時から店選びから予約まで全部させるひととはちがって、頭の回転の速い彼女は、こちらの都合も考慮しつつ、ちゃきちゃきとすべてを決めてくれるので会うのに苦にならない。

だけど、自分の近況報告をするためにひとに会うという行動が、それが悪いとかいいとかいうことではなく、わたしにとっては理解することが難しい。

最後に彼女と会った日から1年半くらいの間、尋常ではないことが彼女には起きていたらしい。物語を作るのが上手なひとなら、短編小説や漫画のネタのひとつにならないでもない。
だからその尋常なかったできごとを話したいし聞いてもらいたいのかもしれないけど、ネタ探しに血眼になっているひとにネタを提供してあげようというわけでもなく、たんに自身に起こったことをひとに聞かせることが「話したいこと」になるその回路がやっぱりよくわからない。
だけど、うらやましいなとも思う。

基本的にわたしの話はだれも聞いていないと思っている。一方で、自分で話したことを忘れているのに、友人は覚えていたりすることもあるから、実際はだれも聞いていないわけでもないこともわかっている。なんじゃそりゃ。

自分はといえば、ひとの話はたいして聞いていない。その場においては上の空ではなく、ちゃんと、ときにけっこう熱心に聞いている。だけど、じゃーね、ばいばいと言った途端に、すべてが吹き飛ぶ。
それなのに、わりに多くのひとがわたしになにかを聞いてもらいたがる。いや、話したがると言ったほうがいいのかもしれない。
わたしは、聞いてはいるけれどあまり理解はできていないのに、どうしてわたしに話そうとするのかわからない。いや、相手は話したいだけなのだからそれでいいのか。ウィンウィンってやつなのかも。あれ、こっちはべつにウィンじゃないか。

自分に起こったできごとや、自分のなかにある思いをすべてだれかに話しているひとっているんだろうか。
小さな子どもは、起こったできごとは話しそうだけど、自分の思いを伝えるのは言語スキルの習熟度がまだ低いからなかなか難しそうだ。でも、思いを伝えることの難しさは、ある意味おとなも同じかな。
ただ、あるできごとから生まれた感情をそのとおりに伝えるのは子どものほうが、そこに変なフィルターがかからない分うまいかもしれない。おとなになると、そこに経験に基づいた思い込みが含まれるがちだし、他人と自分に対する見栄なんかも、ちゃんと伝えることへの妨害になる。

聞き手に対する不信感から無口になることもある。話した内容が勝手にちがう方に解釈されたり、さらにその勝手な解釈を加えた内容が勝手に第三者に伝えられたりされる。
そのようにして、「おいしいケーキが食べたい」といった発言が、「あのひとダイエットしてるらしいよ」という内容に変わる。まさに伝言ゲーム。

まあ、でもそれでいいのかもしれない。ひとは見たいようにしか世界を見ることができない。見たかった世界を見ることによってひとはそのひとなりの幸せを得るのだと思う。それが表面上はネガティブなことであってもだ。
だからわたしは相手の見たい世界を邪魔しない。尋常じゃない生活に苦しむあなたを邪魔しないし、幸せなあなたの人生も邪魔しない。だから、わたしも邪魔されたくない。

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思ったことを、だれに聞いてもらいたいわけでもないことを吐露させてくれるTwitterありがとうって内容を書こうと思ってたんだけど、なんだかこんなのになってしまった。

ひとは自分の思ってることを外に出したいという欲求があるらしいことを、なにかの本で知った。でも、外に出した自分の思いや意見を自分の思うとおりに理解してくれるとは限らない。むしろ、そうじゃないことのほうが多いかもしれない。
だから、とりあえずどうでもいいこともくだらないことも出させてくれて、だけど変な解釈をされない形で垂れ流しだけできるTwitterには、ほんとうにありがとうなのだ。

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