逃避しないで現実的に生きていく
今日のBGM:
「乗り越えられないんだ」
背中を丸めてリーはそう言った。
主人公のリーはとてつもなく重いものを持ち続けている。1グラムもだれかに背負わせてはいけないものだ。
それと一緒に死のうと思っても死ぬことができない。
だれにでもつらいできごとの一つや二つはある。
そのできごとが自分のこと以外の何か ―自分以外のひととか、環境とか、境遇とか― によって起こった場合は、自分は悪くないと思える正当性があるように見えたり、その原因そのものが拠り所になったりする。
そんな状況は意外に心地よいから、ついしがみついてしまい、前に進めなくなるという罠にはまってしまうのは、わたしだけなんだろうか。
でも、そんなことができるのは、けっこう幸せなことなんだ。
それとは反対に、起こったことはすべて自分がつくり出したものだと思わざるをえない状況では、つらさはまるごと自分が背負うしかない。
その場合、自分が背負っているものについては、他人においそれと話せることではない。どんなに信頼関係ができていても、だ。
だから心は閉ざすしかない。
リーの周りには善人がとても多い。だから、彼らのためにも生きていくということが、リーにのしかかってくる。彼らはリーにとって救いでもあり試練でもある。
このことは、社会に生きる者として、生を放棄してはいけないということを意味するのかもしれない。
彼はなんとか生きていこうとしていた。とはいえ、社会人としては全然ダメな感じだったけれど。まあ、心を閉じていれば、イライラもするわな。
この映画、「さあ、過去は忘れて前を向いて生きていこう!」などという、そんな無責任なオチでは終わらない。
希望っていうのも、あるんだかないんだかよくわからない(あるんだろうけど)。
リーと彼の周りのひとたちが、現実的な善良さを持ち続けながら、現実的に生きていく。
「乗り越えられないんだ」
重いものを抱えていく覚悟があるからこそ、乗り越えられないことをも認められるのかもしれない。
観た映画:マンチェスター・バイ・ザ・シー
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