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怒ってなどいない

この連休に始まったオリンピックの開幕式を初めて見た。スポーツ観戦に興味がないのでオリンピックにもノータッチだったんだけど、開幕直前にあれこれが多発して、あら、それじゃ開幕式はどうなるのかしらという野次馬根性で見た。ネットで見せてくれるなんて太っ腹。
入場行進(おもしろかった)で終わりかと思って寝たんだけど、そのあと校長先生の長い話などがあったらしい。そうだよね、全国行脚してきた火もまだ点けてないしね。

それにしても多くのひとがオリンピック開催に関して怒っている様子である。わたし自身は東京へ招致という案が出た時点でそれには反対だったのだけど、べつに怒ってはいません。
反対しているのも、明確に経済的、環境的、その他の問題を根拠にしているわけではなく、ただの思いつきだ。

そういえば、怒ってるひとが必ずしも解決を求めているわけではないことを知って驚愕したことがある。
前の会社にいたとき、不満を言ってばかりのひとが同じチームにいた。当時わたしはちょっとまとめる立場にいたから、どうしたいのか言ってほしい、それが妥当なら動くからと言ったら「もう大丈夫です」と言われて戸惑った。
そのことはしばらく忘れていたんだけど、今の会社の同僚もあまりに文句が多いから、どうしたいのと聞くと、明確な答えは出てこない。あ、おんなじか、と思った。

本人たちだって怒りたくて怒ってるわけじゃないんだろうけど、完全に満足してます! というより、なんとなく不満があったほうが逆に安心なんだろうか。
んで、人間は思いつきでものを言ってるから、あまり相手にしなくていいらしいということがわかった(この本がヒントになった)。
友人からときどき彼女の夫に対する不満を聞いていたことがあったのだけど、最初のころは「あらー、それはひどいねー」と友人に同調して夫さんを悪者にするパターンの対応をしていた。向こうも「そうでしょっ! もう離婚!(プンスカ)」という感じだった。その後離婚する気配はない。
でもいくら友人が自分の夫の悪口を言っていたとしても、わたしまでひとの家族の悪口を言うっていうのもちょっとアレかと思い、また夫さんの話がでたときに「それは優しさなんじゃない?」などと、夫さんを擁護するパターンに切り替えた。そうすると友人は「そんなことない!」と言いつつ、かすかにまんざらでもない顔をするのだ。ちなみに、まだ離婚してない。

今までいちいちマジ対応しちゃってなんか悪かったなーと思った。いくら好きで結婚した相手でも100%満足ということはめったにないから、ちょっとした不満を相槌をもって聞いてほしかっただけなんだよな、きっと。ごめんね。
なので、気を許すとまた真剣に思いつきの話を聞いて一緒に解決策を探そうとしてしまうんだけど、今さらにして「右から左」という術を使おうと決心したのだった。

新人の頃に、なにをやっても怒られるということってなかったですかね。わからないことを訊けば、すぐに訊かないで自分で調べろと怒られ、自分で調べれていると訊いたほうがはやいと怒られ。
わたしのほうも画一的にすぎたかもしれないけど、怒る側がきちんと説明したほうがいいんではと思う。だけど、感覚的に怒っているにすぎないから説明もできないんだと思う。説明してくれと言えばまた怒るのループになりかねない。

わたしもなにかに怒っているとき、その怒りの原因と、じゃあどうすればいいのかということが説明できないことがある。
だれかから腹の立つことをされて(言われて)怒っているとき、たとえ相手から謝られても「謝ればすむもんじゃない!」って言ってるのと同じような状況になることはよくある。相手からすれば、んじゃ、どうすりゃいいねんという感じだろう。
とくに家族のような身近なひとたち、逆に政府のような遠いひとたち、そういう両極の関係性のときにそういうことが起こりやすい。
怒るとますます暑くなるから控えめにしないとね。

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