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あきらめが肝心

数ヶ月前から残業しないプロジェクトに取り組んでいる。会社のだれにも言わないひとりプロジェクトだけど。

仕事の速い遅いは、もちろん経験年数によるものは大きい。だけど、少なくとも自分の周囲を見る限り、何年経験を積んでいようが長時間労働をしているひとがほとんどだ。

わたしも昔は管理部門が残業を減らせと要求してくるのに対して、現場を知らないひとがなに言ってんだとムカついていた。
それに彼らも従業員の健康や私生活を気遣って言っているわけではなく、自分たちの業務の評価にかかわるだけのことであって、会社は会社でお役所からお咎めがあっては困るわけで。

だけど。たとえそうだとしても、自分の仕事の進め方を見直すことはしてもよかったんじゃないかなと思う。それでも減らなければ単に業務量が二人前くらいになっているとか、納期が短すぎるという原因がわかるから、対処のしようがまだある。
自分を振り返りもしないで、だから管理部門は! とムカついていてもしょうがなかったよな。

さすがにわたしも知らないけど、昔は書類やら図面やら全部手で書いていたわけで、今はそれがパソコンに替わったように、テクノロジーのおかげであらゆる業務が短時間でできるようになったのに、なぜみんな長時間労働するのか。

テクノロジーの恩恵の分だけ業務量が増えたというのもあるかもしれないけど、それ以外には、あくまでも私見だけど、あまりにも完璧にやろうとするし、また完璧を求めるのが長時間労働の原因なんだと思う。

たとえば新入社員とか、それなりの熟練度しかないひとがいくら時間をかけたところで完璧にできるわけないんだから、ほどほどのところで上司や先輩にいったん出すほうがいいのに、せっつかれてももうちょっと待ってください! とか言いながら延々とやっていたり(それにつきあわされる上司も必然的に労働時間が長くなる)。
また、完璧にしようとするわりにはほかのやり方を模索せずに、いつまでも同じやり方でやっているから時間的にも質的にも進歩がない。

人間は完璧じゃないから不明なことがあって当然。なのに、不明点をしかるべきひとに訊かずに、わからない者どうしでやいのやいのやっていたりするのも、答えが出るわけないんだから時間の無駄かと。
自分は全部わかっていて、完璧にやりましたっていうのを見せたいからそうなっちゃうのかな。

一般的に、一発で終えなきゃいけない、かつだれも検証しない仕事なんてそうそうないのだから(あったら問題だ)、いい加減にやるというのではなく、その段階におけるベストにしておけばいいのだと思う。
紙媒体には初校や再校があるし、ソフトはβ版てのが出されるし、芝居は稽古を繰り返すし、陳建一は何度も味見をするでしょ。

まるで強迫観念みたいにベストのベストのベストをやろうとしてしまうひとが多すぎるし、それを求めるひとも多すぎる。ある程度のあきらめ……じゃなくて割り切りとか見極めができるといいのに。
初期の段階で完璧にしたところで、次にはなにかが変更されたりひっくり返ったりすることもあるから、最終ゴールに向けて適切に配分していったほうがいいんではないか。

わたしも完璧主義的なところがあったけど、それをやっていたらきりがないことに気づいた。というか、いい加減だと思われたくなかった気持ちが強かったことに気づいた。
結局仕事をはやく終わらせるのも、残業しないでとっとと帰るのも、自分との戦いなんだと思った。べつにいい加減でもサボっているわけでもないのに、そう思われてしまわないかという周囲の目を気にすることを捨てなければ、いつまでも仕事を終わらせられない。そしてその周囲の目も完全に自分の想像でしかない。そうかもしれないし、そうではないかもしれないことを気にしてどーすんの。

ただ、従業員を労働時間でしか評価できない会社が多いので、長時間労働していないと働いてないと思われてもっと仕事を振られるハメになるので(担当している仕事見りゃわかるだろって感じだけど)、このひとは仕事が早いということをなんらかの形でわからせておく必要はある。おかしな話だけど。
わたしの場合は以前、引き継いだ仕事を前任者の半分くらいの時間で終わらせ、そのときのPJリーダーがそれをもっと上のひとに言ってくれたので、その後の仕事がやりやすくなった。

わたしは会社では評価されることはあきらめたし、出世することはまったく望んでいないので、こんなことができるのかもしれない。
自分のためにはあきらめが肝心ね。

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