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矛盾を抱えて生きる

あれこれあれこれ考えすぎて、なかなか一本の筋が通らない。

最近の書籍は誤植が多いなー⇔いやいや、意味がわかればいいんじゃね?
同僚とのランチは時間のムダ⇔雑談から思わぬアイデアが生まれるかもよ
自分で原典にあたって調べるべきだ⇔ググる、Wiki or そこらへんのひとに聞け
自炊はするべきだ⇔コンビニやスーパーが冷蔵庫代わりになる時代だよ
あいつは仕事ができない⇔人はよくてみんなに好かれてる
催し物は中止するべきじゃない⇔それで感染者が出たら当事者はいたたまれない
男女平等⇔そもそも男と女は生物学的に異なる
上司に気に入られて出世するんじゃない、実力が重視されるべきだ!⇔人脈こそ命。こいつは伸ばしてやろうと上の人間に思わせる人間性が大事!
結果が重要⇔過程が重要
…………

あげ始めたらきりがない。
わたしの眼にはいろんな状況が飛び込んでくる。さまざまなひとのさまざまな状況をすべて考えようとしてしまう。
たとえば「○○政権反対」とスパッといい切れてしまうひとの、その揺るぎなさ自体はわたしにとって尊敬に値する。

昔、上司に「君は白黒はっきりつけすぎる」と、とがめられたことがある。「白黒はっきりつけてなにが悪いねん、うすぼんやりとごまかしている方がどうかと思うけど。これだから日本人って……」と当時海外帰りだったせいもあって、そのような内容のことを(もう少していねいに)言い返した。

なぜわたしは白黒をはっきりさせたがるのか。
それは、矛盾を抱えて生きていけるほど強くないからだ。割り切ってしまったほうが楽なのだ。
だから、あらゆる矛盾に対してどうにか一つの結論を導き出そうとする。だけど、わたし程度の頭脳でこれ!という結論が導き出せる問題は、世界にはそれほど多くはない。
結果的に結論が出せないまま、矛盾をもやもやもやもやと抱え続けることになる。

そのせいなのか、わたしには「ひとはひと、それはあなたの選択なんだから好きになさって」という思いが強い。不便なことに気づいていないひとに「こうしたほうがいいよ!」とは問われない限り言わないし、他人のやっていることに対して「それはおかしい」などとはよほどのことでない限り言わない。
やはりわたしの言ったことにも矛盾があるのだから、無責任なことは言ってはいけないと思ってしまう。ただただ賛成も反対もせず、生暖かい笑みを浮かべて眺めている。

だけど、ひとには選択する能力もあれば、矛盾をどうにかする力もあるはずだ。
いや違うな。選択する力があるからこそ、矛盾を感じながらも勇気を持ってその選択をするんだと思う。
その選択は、たいていの場合は後になって軌道修正は可能だし、矛盾と矛盾を合わせてしあわせ〜、じゃなくて、もっとべつのよりよいなにかを生み出せるかもしれない。

っつーか、わたしがそこまで責任を感じる必要はないんだよなと思う。
この世界は矛盾を抱えつつもきっぱりと言い散らかした人間が勝つしくみになっているように見える。そうでなければ生存競争で勝ち残れない、または勝ちを手に入れるのにより長い時間がかかる。そのことは身をもって知っているのに。
べつに勝つことが善だと考えているわけじゃないけど、勝ちの側に片足一本でも突っ込んでいないとなにかと不便な世の中なのですよ。

矛盾を抱えて生きていく、割り切らない強さを持とうと思った花冷えの朝でございました。

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