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安いオンナ

自分でつくったごはんを食べてうっすらと幸せを感じながら気づいた。ここのところ仕事でちょっとだけ思い悩むことがあり、昔だったらお酒を飲むことでストレス発散してた(した気になっていた)けど、今は自分のごはんで簡単にリセットできる。随分安上がりになったもんだなと思った。

幸せを感じるハードルがだいぶ下がっている。体力、気力および感性が衰えているせいなのかもしれない。が、だいぶ年上のひとでもストレス発散のために飲酒をするらしいので、一概に年齢のせいとも言えない。

疲れたし、まだ暑いということも手伝って、もうビール飲んじゃおっかなーと思うことが最近あった。
でも、もう2年の間一滴も飲んでいなくて、ここで飲んだら満冊近くまでためたスタンプカードが一からやり直しになってしまうような気分になってしまいそうで、とっとと家に帰った。
お酒を飲んでものごとが解決したり、自分が悩まなくなるんならいくらでも飲む。でもものごとが解決するわけはないし、悩みは一時的には吹っ飛んだとしても数時間後にはもとに戻っていることは確実だ。体にもよくないし意味がない。

心をすっきりさせるのに一番いいのは山登りなんではないかと思う。緑ときれいな空気と、程よく体力を使った程よい疲れと達成感。プールで泳いだあとの疲れと似ているかもしれない。
一応トレッキングシューズはまだ捨てずに持ってるので、来年あたりは高尾山くらいには登れる体力がついているだろうか。

わたしはグルメや買い物という発散系でストレス解消するタイプではなく、本気で落ち込むとすべての矢印が自分の内側に向かってくるタイプなので、物欲や食欲が旺盛なときは元気なときだ。
物欲といっても、最近は家の中で使うものをネットでちまちま買うくらいだし、派手な食べ物は好まないのでせいぜいちょっといいパンやお菓子を買うくらいだ。ケチなんで。

今はちゃんと食べられるということ自体が、ストレスが吹っ飛んでしまうくらいうれしいことだ。
腸が10年以上悪かったので食べ物の制限が多く、安全な炭水化物だけで生きてやるという気持ちだったけど、最後の手段と言われた手術をしてもらったのが不幸中の幸いだった。やっぱり炭水化物以外のもの、とくに野菜がたくさん食べられるようになったのは食べるたびにうれしさをかみしめている。

自分にとってうれしいとか楽しいこと、あるいはストレスが解消されるようなことって、故意に選んで決められるものじゃないと思う。
これがうれしい楽しいっていうのは自然に出てくるもので、意図的に決めることじゃないでしょ。同じように、例えば、自分のストレス解消法は運動にしようと決めて、そのとおりにできるものでもない。とくにストレス満タンなときは、あんまり冷静じゃなかったりするから、欲望にコントロールされた行動に出てしまうと思う(それこそお酒とか)。
だからストレスを感じたらとりあえず呼吸しましょうなんていうのも絶対無理。それができるくらいならそれは平常運転状態なのだ。
わたしがストレス発散に飲酒を使うのをやめたのも意図的ではなく、なんとなくな感じで自然の流れだったのだから。

だからほんとは自然に流されるままでしか生きられないのかもしれない。なんかやりたいことや目標があって、それに向かってがむしゃらに動くより、なんとなくそれらを心に留めて置くくらいの方があっさりうまくいったりする、わたしの場合は。
だけど、それに逆らうように無駄な努力をしたり、猪突猛進してしまって失敗することもまだある。学習してない。だけど、それも自然の流れなのかも。っていうのは言い逃れかな。


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