見出し画像

いまどきの若いもんは……

「まったく、いまどきの若いもんは……」
というセリフは、かつては中高年の常套句だった。
自分が若かりし頃、面と向かってそう言われたことはないが、そう思われたことはあるんだろう。

今はこういうセリフを若者本人に向かって言うことは、すなわち老害であるという風潮がいきわたって、堂々と言う人はあまり見かけなくなった。
でも、内心そう思っているひとはいると思う。わたしだってそう思うもん。いまどきの若いもんはすごいし、すごすぎて怖いと思う。
すごい若いもんを目の前にすると、なんだか自分がバカのように思えてならない。まあ、実際バカなんだからしょうがないんだけど。

わたしが10代、20代、30代の頃なんて、そんなこと夢にも思わなかったわーってことを、いまどきの若いもんは平気で考えている。
受けてきた教育が違うのか、何らかの環境によって意識が元々違うのか……。

わたしが「いまどきの若いもん」と言われる年齢のときは、それを言うおじさまたちとは育った環境が根本的にはそれほど違っていなかった。
もちろん、食べるものとか、住環境とか、三種の神器があったとかなかったとか、そういう道具的な部分での違いはあった。
でも、受けた教育はお互いに大して変わらないんじゃないかと思う(ちゃんと調べていないのであくまでも憶測)。インターネットもなかったし。

だから、当時の若いもんと大人との違いは、ただ単に年齢差によるギャップだけだったんだと思う。
年齢がそれなりに違えば、考えかたや行動だってそれなりに違う。
やっぱり若気の至り的なものは若いもんにはあるだろうし、成熟して得られた分別のようなものが大人たちにはある。
でも、ただそれだけ。根本的に、わたしたちはほぼ同じだったのだ。

だけど、わたしが40代後半に突入した今、いまどきの若いもんには、どうやら年齢差だけではない違いを感じずにはいられない。

わたしが若いもんのときは、自分のことだけで精一杯だった(今もだけど)。
バブル経済はわたしが社会に出るまでは持ちこたえてくれず、「一人前の社会人」になることが大変な時代になった。
就職すること以外の選択肢があるという考えをもつに至らず、ひたすら就職することに躍起になっていた。
だから、自分が一人前になることばかり考えていた。

就職できたらできたで、そこで一人前とはもちろんならない。さらなる一人前を目指して、ひたすら働くのだ。
自分がいかに社会的に認められるかということばかり考えているという意味で、自分のことで精一杯なのだ。

いまどきの若いもんは、そこで頭を切り替えることができる。
社会(会社)が受け入れないのなら、自分で生き方を探すことができる。彼らにとって就職することがゴールではない。

ちょっとびっくりしちゃうのが、自分が世界(世の中)に貢献するということがデフォルトで彼らの中にあるってことだ。自分のことしか考えるのではなく、といって貢献することばかり考えているのでもなく、世界のことも自分のことも考えているのだ。
いまどきの若いもんは、その視点で生き方を探求し、選択する。

ひょえ〜〜ですわよ、奥さん。

だからわたしは若いもんには弱い。
年上のひとには言いたいことが言える。時には目上の人なのに失礼かもって思うくらい、遠慮がないこともある。
でも、若いもんを目の前にすると、こんなこと言ったらだから年寄りはダメなんだよとか思われそうで、「へぇー」とか「ほぉー」などと、できそこないの鳩のようにつんつんうなずいてしまう。

もちろん、若かりし頃のわたしのような若いもんは今でもいる。
いま流行りの、自分を大事にするという視点ばかりが大きくなってしまって、何かと他者のせいにしてしまう若いもんもいる。すべてが自分のせいだと思う傾向にあったわたしの世代とは、これは明らかに違う。
こういう考えでいると、頑張らないといけないときに頑張れず、自分の可能性を自ら狭めてしまう。
おっと、うっかり偉そうなことを言ってしまった。「老害」でございますね。

それはともかく、怖いいまどきの若いもんに対して、わたしはまぶしさと熱さを感じ、若干の羨ましさも抱きつつ、それを尊重しつつ、いまの時点でわたしの中にあることを見てみると、何ものかになろうとしないということだけがある。
え、そんなオチ? 
……なんですよ。

何ものかになろうとしないってことについては、また書きます(たぶん)。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?