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代案の必要性と希望を知ること

著名人でも一般のひとでも、政治関連の発言は控えるひとがけっこういる。それは賛同することにも否定することにも危険が伴うからなのかしら。今の時期、声を上げるひとが多い一方で、そういうところから徹底的に距離を置くひともいる。強い。

わたしも政治にかんしてはあまり意見を言わない、というか言えない。それはひとえに、自分が政治に対してなにかを言うほどには勉強していなくて、こんなわたくしめが……という引け目からだ。
Aという意見を目にしてはふむふむと納得しかかるが、それを否定するBという意見を見れば、それに対してもふむふむと思ってしまう。

それに、頭で考えていることと身に染み付いた考え方がマッチしないこともある。たとえば功利主義の弊害を知れば頭のなかではそれに対して否定的になるけれど、あまりに自分が功利主義的考え方にどっぷり浸かっていて、頭と行動のちぐはぐさに自分でもついていけない。
以前にこんな記事を書いたが、こうしていまだにわたしはぐずぐずと考え込んでいる。

それはさておき、頭と行動が一致して潔い自分になったとしたら、どんな感じで意見を出していけばいいんだろう。

行われている政策などに対して、代案が出せないのなら否定するべきではないと言うひともいる。たしかに会社の会議でひとの意見を否定するだけのお偉いさんがいると、なんだよ他人事かよと思う。
だけど、万事において「代案を出せ」の原則を適用してしまうのは、ちょっと乱暴なんじゃないのかなー。

こういう結果になるといいという希望が、ひとには多かれ少なかれある。そこへたどり着く道のりは、政治に限らず、その政策やモノ・サービスなどを提供する主体が考えたほうがいいんではと思う。そのほうがよりよい結果が得られるんじゃなかろうか。プロなんだもの(まあ、そのプロが信用ならんという問題もあるが、ごにょごにょ……)。

たとえば、ちょっと集客に悩むどら焼き屋さんがあったとする。どら焼き屋集客コンサルタントみたいなひとがいたとして、そのひとにもっと集客したいんですと相談したら、逆に「じゃあどうすればいい?」なんて問われたら、もうクビ!にしていいと思う。
素直なひとだったら、じゃあ幟を立ててみようかとなどと言ってしまうかもしれない。だけど、どら焼き屋集客コンサルタントはプロのはずなので、確実に集客がアップできるようなことを考えなければいけないでしょ。
現状集客が足りてない原因によっては、幟を立てて効果がある場合もあるかもしれないし、どら焼きそのものをもっとおいしくする必要があるかもしれない。あるいは買いやすい雰囲気にすることが役に立つかもしれない。方法はどら焼き屋さんのもつビジョンによって違うと思う。
おいしいどら焼きを食べてもらいたいというビジョンがあれば、もっと安い材料に替えて安くしようという方法は即却下だけど、とにかく儲けたいというのならばできあいの安いあんこを使うという方法は有効かもしれない。
どら焼き屋さんのビジョンを見ずして材料費を抑えましょうなどと言ってしまうどら焼き屋集客コンサルタントは素人だし、しかもどら焼き屋さんのビジョンと実際の行動がちぐはぐになってしまう。コンサルタントがどら焼き屋さんに問うべきは「どうすればいいか」という手段ではなく、ビジョンであり希望なのですよ。

モノ・サービスの利用者は素人。モノ・サービスを提供する主体がその声をストレートに聞いて言われたとおりにやってしまったら、あなたたちプロではないでしょと思う。それなのに、代案を出さなければ「文句を言うな」と素人のほうが言われてしまうのは残念。
それは「文句」じゃなくて、「不満」でもなくて、こうなってほしいという「希望」なのになぁ。希望を叶える道筋までも自分で考えられるんなら、プロはもういらんわ。

ところで、今の政権を握るひとたちのことを「冷酷だ」と評する向きがあるが、わたしはそうは感じない(言ってしまえば、冷酷になりきれるほどの強さももち合わせていないんじゃ?)。
あのひとたちは冷酷なんじゃなくて、人々の希望をさっぱりわかっていないように見える。少し前のあの動画を真面目に公開できることが、信用ならんプロである証拠なんではないかな。


どら焼き屋さんが出てきたのは、昨日観た映画の影響です。


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