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ひとの日記と自分の日記

仕事本 わたしたちの緊急事態日記』を読んでいる。ちょっとお高めだけあって、けっこう読み応えがあって、ようやく半分くらい読んだところだ。

わたしはひとの書いた日記が好きなのだ。だからといって、誓って言うけど、ひとの日記帳を盗み読んだことはないし、そもそもそれに対してあまり魅力は感じない。

国内海外を問わず旅行に行くと、観光の見どころとされているところよりも、普通に現地のひとが使うスーパーとか、普通の住宅地のほうがわたしにとっては数倍興味深い。
ひとの日記が好きっていうのは、そういう感覚に似てる。みんながどんな生活をしているのか、それをただ単に知りたいのだ。今はブログやSNSで他所さまの生活を眺めている。
なにを食べた、どこに行った、こういうことを感じた、考えた。いいことも悪いこともひっくるめて。FacebookよりTwitterのほうがみんなが正直なので面白い。

冒頭の本も、こうして本になるのがわかっていて書くのだから、もっとかっこつけて書くものだろうと思ったら、大方のひとがとても正直に書いているように思える。
行動だけを淡々と書くひともいるけれど、自身の浅はかさに気づいて反省するひと、不安な気持ちを正直に出すひと、ほんとうは自分はこうしたかったんじゃないかということに気づいたひと。
共感できたり、新しく感じたりとさまざまで面白い。

ところで先だって実家の整理をしていたとき、亡くなった母が書いた日記が出てきた。だけど、そこには彼女がなにを思っていたかがわかるようなことはほとんど書かれていない。
初日の欄には「今日から日記を書こうと思う」とあったけれど、それだけなのでなぜ日記を書き始めようと思ったのかわからない。

母とわたしは絶交状態だったけど、去年かおととしに母から年賀状が来たことがあった。日記には「マキへの年賀状を出しに行く」としか書かれていないから、どうして急に年賀状を出そうと思ったのかが不明。とくに深い意味はなかったのかもしれないけど。

「今日は坂の下のスーパーに行った」「最近暖かくなってきてほっとする」みたいなことしか書かれていないから、母の日記はつまらなかった。でも、知っているひとだからつまらなかっただけで、赤の他人だったらけっこう面白く感じたかもしれない。
行動だけを書くのなら、何時に起きて何を食べてという感じで、もっと徹底して書いてくれたら面白かったのにと思う。

わたしは一時期、別のアカウントで、テーマを決めずにこの「何時に起きて何を食べて」から書き始めることをしていたのだけど、意外だったのがこういう書き方をしていると、自分が何を感じたり考えたりしたかが自然と出てきたのだった。
自然にテーマが出てくるのと、だれにも読まれないことを前提にしていたのもあって、その日記的文章は普通に毎日書けていた。ここ(note)でもそんなふうに書きたいとは思っている。

今、なにかはわからないけど自分の外に出したくてしょうがないなにかが溜まっている感じがする。だけど、それをやろうとする体力が追いついていない。それが今ちょっと気持ち悪い。


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