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甘い麦茶

幼稚園生だったころ、わたしは毎日ゆうちゃんの家に入り浸っていた。ゆうちゃんの家は、我が家から徒歩30秒のところにある、きちんと整理整頓されたこぢんまりとした家だった。
ゆうちゃんは、わたしより1つ歳下の女の子だ。

だけど、あんなに毎日ゆうちゃんと一緒に遊んでいたのに、なにをして遊んだのか、どんなことを話していたのか、今やまったく記憶にない。
覚えているのは、茶の間の片隅にお母さんが趣味で使っている電動の編み機があったこと、やさしいおばあちゃんがいたこと、夏には甘い麦茶を出してもらったことくらいだ。

我が家では甘い麦茶は飲めなかった。
母が麦茶をやかんで煮出して、そのままコンロの上にほっぽかれていたので、甘い麦茶どころか夏らしい冷たい麦茶を飲んだ記憶はほぼない。
うちの母は、料理やお菓子・パン作りが好きで、面倒くさがらずによくやっていたけど、梅干しやぬか漬けをつくるとか、麦茶をいつもみんなが飲めるように作っておくなどという地味なことはできないひとだった。

田舎の祖父母の家に行くと、普段飲まないプラッシーが飲めるような、そういった、日常的には味わうことのない、なんだか大事にされているような気分になったけど、ゆうちゃんちの甘い麦茶もそんな感じだ。

ゆうちゃんちのやさしいおばあちゃんは、いつもニコニコしていた。
当時のわたしは、ごはんもお菓子もとにかくものを食べるということが苦痛でならなかった。
おばあちゃんは、わたしが出されたお菓子に手を付けないでいても、無理に勧めないでいてくれた。食べなさい食べなさいという大人ばっかりだったけので、そう言われないことは子ども心にもありがたかった。
おばあちゃんも子どものころは、わたしと同じように食べることが嫌いだったらしいのは、かなりあとで聞いた話だ。

甘い麦茶は、ゆうちゃんち以外で飲んだことはない。
おとなになって麦茶自体まったく飲まなくなったけど、たまには作ってみようか。お砂糖もどばどば入れちゃって!

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