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体力と娯楽

コロナ禍も(今のところ)落ち着いたというのに、以前にはよく観に行っていた演劇や落語にすっかり行かなくなってしまった。映画すらも最後に映画館に観に行ったのは1カ月近く前だ。

演劇や落語を鑑賞していると自分でもやりたくなってしまう。
落語は習ってみたいと思いつつ未経験なのでただの妄想だけど、演劇は舞台に立ったこともあり、でも諸般の事情でダメージを受けて遠ざかっているから、やりたくなる思いがつのるとつらいので触れたくない。

映画は単に観たいと思う映画が見つけられないだけで、深い理由はない。
今年の春頃に観て自分的に大絶賛だった映画を撮った監督の新作を観に行こうかと思ったけど、予告編を見て自分には無理と思った。その映画はコスプレではないんだがコスプレっぽく見える。そういうアニメっぽいのが苦手なので。内容的にはおもしろそうなんだけど。

なので今は本ばっかり読んでいる。
本を読むときはとくに肉体を使うわけではないのに、体力が落ちているときはなぜか読めない。仕事でへとへとのときも読めない。
わたしは仕事も肉体労働ではない(ついでに頭もあんまり使わない)のに、長時間労働が続くと駅の階段を登るのが明らかにつらくなるのが不思議。

観劇にしても映画にしても2時間前後椅子に座ってじっとしていないといけないし、それってけっこう体力を使うから、そこそこ元気が必要だと思う。
わたしは今少し体調が不安定なので、それも劇場に足を運ばない原因の一つかもしれない。
亡き祖母は歌舞伎が大好きで、房総半島へ移住したあとも必ず月に1回は着物を着て歌舞伎のために上京していた(という条件で祖父の移住提案を承諾したらしい)。その情熱は体力から来ていたのかと今なら思う。80代後半まで元気だっただけある。

先だってある本に書かれていたのが、テレビドラマや映画などは向こうから情景を提供してくれるけど、小説は文字情報だけだで、自分で情況を想像し補いながら読まないといけないからけっこう疲れるということだった。
難解な映画や前衛的な演劇だと頭がむむむ? となることもあるし、俳優のしぐさからどう読み取るかみたいなこともあるから一概には言えないけど、たいていは向こうから情景を提示され、わたしたちはそれについて泣いたり笑ったりしていればいい。
俳優は台本を読んでセリフの一つ一つをどう言うか、そのシーンにおいてどう振る舞うかということを検討すると思うんだけど、それを小説では自分でやらなければいけない。だから体力ないと読めないのね。

ただ、情景を提供されるとは言え、それでも各人の感想、解釈などは必ずついて回るのであって、体力がないとただ作品に触れたというだけで終わってしまう。
なんにせよぼーっとしてたら楽しむことも理解することもできないので、祖母を見習って体力つけようと思う。

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