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なじんできたのとよれてきたのの差がわからない

わたしはケチなので、なんでも壊れるまで使ってしまう。壊れないと買い換えないのが当たり前だと思っていた。というか、壊れていないのに買い換える意味がよくわかっていなかった。
壊れてないのに買い替えた実績があるのはオーブンとスマホくらい。オーブンについてはヘルシオへの好奇心がケチに勝ったかたちになる。
スマホもかなり長く使うほうだと思う(1年前までiPhone SE第一世代を使っていた)が、電池のもちが異常に悪くなったら買い替え時ということにしている。災害時のことも考慮して。

自宅で自分だけが使っている家電製品なんかなら、べつにボロくても火さえ吹かなければ使ってりゃいいんだけど(でも最近の家電にはあんまり長く使わないでね的なシールが貼られているものがある)、人様の目に晒すものはそうも言っていられない。

自転車を処分した。15年くらい前に買った1万円くらいの安い自転車だ。とくに大事に乗っていたわけでもないけど、いつまでたっても壊れないから乗っていたら、それを見た友人から「随分と年季が入った……」と遠慮がちに言われた。
それを言われたのがすでに5年前なのにしつこく乗り続けていた。鈍いので自転車がボロいと言われたことに気づいていなかったのだ。

あるとき自転車のライトが切れたので自転車屋さんに交換してもらいに行くと、安普請だしけっこう古いからライトも一番安いのでいいんじゃないと言われた。
この自転車屋さんには、前にもタイヤのパンクを直してもらったことがあり、そのときもそんなようなことを言われた。
いろんなひとがボロいボロいと言っているのに、見た感じかなりやばい自転車にわたしは平気で乗っていたのだ。

自分の肉体も含め自分のものって毎日見てるから劣化に気づきにくい。気に入ったシャツを何年も着ていて、ほつれても破れてもいないし、シミもないし、色あせが目立つ色でもないしと思って着ていても、他人から見たらなんとなくくたびれた服を着ているように見えたりしてるんだと思う。

自分の顔だって見たくはないが一応毎日見ているからこそ、突然吹き出物ができたなどということ以外の変化は気づきにくい。
老化はグラデーションで進行しているから普段は油断していて、ある日突然シワやたるみに気づき、時すでに遅しということになる。
年単位で久しぶりに会うひとの変化っぷりに驚くことがあるが、自分だけが変わらないわけではない。先方だってこっちの老けっぷりになんらかの感想をもっているんだろう。

というわけで、ひとり歩け歩け大会を日常的にやっていることもあり自転車の出番が少なくなりほこりを被った自転車を見て、捨てる決心がついた。
ついでに今日は洋服も整理した。今日たまたま近所の出先の鏡で見た自分があまりにひどくぞーっとしたので、こんなの着てちゃだめだと思い、カットソーをいくつかパジャマに下ろすことにした。
さらについでに仕事などに着ていく洋服も、膝抜けてないか、よれてないかなどチェックし、イケてないのを処分。結局新しい洋服をポチることになった。ケチなのに……。

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