見出し画像

妄想癖

ある程度距離の離れたところ(東京23区と多摩地域の一部より遠いところ)に行くと、そこに住んでいるひとの生活を勝手に想像してしまう癖がある。小さい頃からそうだった。

たとえば旅先の空港に到着して、タクシーやバス、あるいは迎えのバンなどに乗る。途中で普通の民家を見かける。旅という非日常をすごしている自分と違って、そこにはごく当たり前の日常がある。

東南アジアのある国に行ったときは、日が落ちても間口は開けっ放しであり、家のなかのテレビがちかちかとついているのが見える。女のひとがタイル張りの床を裸足で歩いている。玄関の前に椅子を出して、おじいさんが何をするでもなく夕涼みをしている。

新幹線に乗っていると、山と小さな畑と新幹線の線路しかないところに家がぽつぽつとあるのを見かけて不思議な気持ちになる。そこではどんな生活が営まれているんだろうか。最寄りの駅やスーパーは車でも遠いんだろうか、夜はきっと真っ暗になるだろうけど、怖くないんだろうか。周りが静かそうなだけに新幹線の音うるさくないだろうか。ついでに言えば、新幹線を通すという話になったときどう思ったんだろうか。

ただ不思議とヨーロッパに行ってもそういった妄想は現れてこない。建築物など見た目の環境が日本と違うからなのか、人種的な違いが大きくて妄想すらできない別の世界と感じているせいなのかわからないけど。

海外に住み始めて間もなかったときに出張で日本に来たことがある。行った先は大阪の都心部から30分ほど離れたところだった。
そのとき、まだ海外での生活に慣れていなかった時期で精神的に疲れていた。
駅から出張先の工場まで歩いて10分ほどの距離に商店街があり、ありふれた住宅街がある。ゴミ出しをするひと、家の前の道路をほうきで掃くひと、チャイルドシートを取り付けたママチャリで疾走するひとなどがいる。
彼らの「普通」の生活を妄想しては、それをうらやましいと思った。わたしもそこに入れてほしいと思った。日本を出た自分を恨んだ。
とは言え、異国に慣れたらすっかり日本になんか帰りたくなくなってしまった(帰ってきたけど)。よほどの僻地とか危険地域でない限り、慣れれば「普通」の生活はどこでもできるのだ。

ところで、先だって観光バスに乗ってワクチン接種会場に行った(駅と会場の間を観光バスが送迎してくれている)。
暗くなった時間に路線バスではないバスに乗っていると、普段見慣れた東京であっても東京ではないどこかに来たような気がする。旅行のときは夜に空港に着いて移動することが多かったからそんな感覚になるんだと思う。
自分はどこか遠くから来た人間で、東京のひとたちの日常を妄想する。注射の前にそのことをちょっぴり楽しんだ。
もっと妄想力を発揮したいので、はやく自由にいろんなところに行けるようになるといい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?