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おとなの買い食い

おかしなことかもしれないけど、わたしは子どものころから30歳をすぎるまで、買い食いというものができなかった。

親のしつけというのは、もしかしたらそのひとの得意分野がこだわりとなって現れるのかもしれない。母親は食べ物に関係することにはうるさかったけど、勉強の方に関しては、私が中学生になって急激に成績が下がったので慌てて学習塾(進学塾ではない)に突っ込んだという程度のものだった。
母親は勉強は苦手だったみたいだけど、料理は好きで、彼女が中学だか高校で習った料理のノートは今でも残っていて、それはわたしの手元にある。

わたしが子どもの頃は多くのものが手作りだった。お菓子やパンに味噌、デミグラスソースやカレールウなんかも市販品に頼らず作っていた。だけどなぜか漬物は漬けていなかった(たぶんあんまり好きじゃないんだと思う)。
だけど、子どもはジャンクも食べたい。たまに幼稚園の遠足かなんかで配られる普通のおやつがけっこううれしかった。

こんな親だったから、友だちと近所の夏祭りに行くというと、屋台で売っているのものを食べちゃだめよと言われた。
べつに食べてもバレないかもしれないのに、友人たちが綿あめとかたこ焼きとかをつまんでいるのを横目に、かたくなに親の言われたことを守っていた。わたしはしょっちゅう嘘をつくけど、妙なところで嘘をつけないところは何十年もたった今もあんまり変わらない。

当然学校帰りの買い食いもしたことがない。だから、歩きながらなにかを食べるということがすごく恥ずかしいことだと思っていた。知り合いに見られたら恥ずかしいし、知り合いじゃなくても勝手に恥ずかしい。

だけど、常夏の異国に住むようになったとき、それがなくなった。その国のひとたちが、あまりにもあっけらかんとしていたからだろうか。しょっちゅうなにかを食べている。お行儀が悪いかもしれないこともシチュエーション次第では娯楽になる。だれも気にしない。
太陽の下でのんびりアイスをなめなめしながら散歩する。日が沈んでフランクフルトをかじりながらぶらぶらと夕涼みをする。川沿いのベンチでビールを飲む。楽しいと思った。

昨日の夜家に帰るとき、暑いのと疲れていたのとで、なにか気分転換をしたかった。お店に入る時間もないから、コンビニでアイスキャンディーを買った。店員さんがそれを袋に入れてくれるのを制止して、その場で袋をぴりっと開けてぺろぺろ、途中からがぶがぶしながらのんびり暑い夜道を帰った。
こんなことだけど、すっかり気分が変わって、ちゃきちゃきと風呂に入り、ちゃきちゃきと寝る支度をして、だらだらすることなくとっとと寝られた。

おばさんの歩きアイス。傍目には見苦しいかもしれないっていう考えはどうでもよくなった。

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