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いつわたしがおばさんになるのだろうか

あと10日近くで50歳になる。漫画で中学生の母親がしわしわなかんじに描かれているのを見て、うむむと思った。40歳で産んだとしても50代前半のはずだよねえ。
でもサザエさんちのフネも、公式ページによればまだ50代らしいのに、あのおばあさん感なので、うむむむむ。
まあ自分だってついこの間まで50歳のひとなんて高齢者だと思っていたから、お互いさまか。
だけど、サザエさん(24)はわたしにとってはいつまでもおねえさんだ。

サザエさんが永遠のおねえさんなのは、ひとえに彼女がおばさんぽいからだ(おばさんおばさん言うのもどうかと思われる向きもあるかもしれないけど、今日のところはこれで通させてもらいます)。サザエさんにはおばさんとしての成熟性が備わっていると思う。
おばさんって拒絶されても平気な強さをもっていると思う。それがおせっかいにも親切にもつながっている。たとえば困っているひとがいるとき、まっさきにヘルプするのっておばさんが多い。見て見ぬ振りをするおじさんは何回も見たことがあるけど、そういうおばさんはわたしはほとんど見たことがない。もちろんおじさん全員がそうで、おばさん全員がそうだということではないけど。
おばさんの成熟性って、もともとの性格や地域性にも影響されるのかもしれないけど、そのひとが積んできた経験によるところも大きいと思う。
拒絶という話題でいえば、拒絶された/されなかった経験が多ければ、拒絶されないケースや、拒絶されても自分が大きなダメージを受けないことがわかっているから、親切(おせっかい)になるんだと思う。

おばさんは図々しいなんてことをときどきいわれる。だけど、その図々しさは、今までの、これは大丈夫でこれは大丈夫じゃないという経験があって、大丈夫という確信がもてたものに対しては、物怖じせず主張や要求をするので、それが図々しいといわれるのかもしれない。

だから、いろいろな経験を積んでいないひとは年齢的にはおばさんでも、ぜんぜんおばさんには見えず、むしろ外見と内面のギャップで年齢不詳なミステリアスな存在に見える。まったくの先入観なんだけど、やはりこの年齢のひとならこうなんだろうなという想定が外れひとがいるのだ。それが面白い方向に外れれば興味深いのだけど、非成熟性という方向に外れるとちょっと戸惑ってしまう。

ところで、わたしは今のところ自分のことをおばさんだと思ったことがない。べつに気持ちや外見が若いとか思っているわけではない。太陽光の下で顔を見ればたるみとシワにおののくし、腸の持病が悪化したのかと思って医者にかかれば「悪化じゃなくて老化ですね」と言われ、肉体的におばさんなのは認める(でも、運動すればくびれはできるので希望はある)。
自分をおばさん視できていないのは、いつまでたってもサザエさん的に成熟していないからなのだ。少しましになったけど、まだまだ相手の顔色を伺ってしまうところがある。対人関係では、前よりも臆病になった。要するに傷つかないようにそーっと生きているのだ。
サザエさんにすらまだ追いつけないから、フネには一生なれないかもな。

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