見出し画像

鈍感力、ときどき悪態

今朝コーヒーを飲んでたら、いきなりガッテンした。

四十数年間生きてきて、わたしはいじめられたことがないと思ってきた。
多くのひとは、学校や会社で大なり小なりいじめられた経験があるみたいだ。
わたしが「いじめられたことない」と言うと、みんな納得したような顔をする。なんでだろ。
「そうね……」とため息まじりに髪をかきあげながら言いたい。「いじめられてたの」と言えたほうが楽だったかもしれない、ってね。ふふっ。

だれが見てもいじめっていうレベルはあるけれど、悪意のない(=子どもらしい悪意のある)からかいと、いじめの区別は主観によるところも大きいと思う。

わたしはわりに神経質でイライラしやすいほうだけど、ひとの感情や言動に対しては、その神経質さに比べてびっくりするほど鈍感だ。
皮肉なのにそのままお褒めのことばとして受け取っちゃったり、遠回しなお小言やお願いごとに気づかないで、ぼんやり流してしまったりする。

子どものころ、中学生の姉が友だちと「としまえん」に行くというので、荷物の見張りでもいいから一緒に行きたいと言ったことがある。なんでそんなについて行きたかったのか覚えてないけど。

ついて行ったら、ほんとうに荷物番だった。彼女たちがジェットコースターに乗っているのを、とくにさみしいとも思わず、荷物とともに下から見ていたことを覚えている。
おとなしく荷物番をしていても、だんだんと姉にうざがられて、走って逃げられた。わたしは半べそをかきながら、両手に彼女たちの荷物を持ったままよたよたと姉たちを追いかけた。

これだっていじめといえばいじめかもしれないけど、わたしにはそういう意識はなかったし、あとで恨み言を言った覚えもない。それほど姉を崇拝していたわけでもないのに、不思議だ。

というくらい、わたしは相手の言動の裏を読めない。
よく「挨拶しても無視された!」などとプンスカしているひともいるけど、単に聞こえなかったとか、ほかのことに気を取られていただけなのに、なんでそんなことで怒るんだろうと思う。
ばっちり目が合って挨拶してるのに、ほかのことをしていると相手の姿は単に目に映っているだけで、挨拶しようという行動につながらないひとって結構いるので。で、あとから「あ、おはよう」とか初めて気づいたように言う。
わたしだったら無視されたことよりも、その極端なシングルタスクっぷりのほうに腹が立つけど。

職場では、一匹狼のひとがいじめられやすいというようなことを聞いたことがある。
でもわたしは、職場でどこかのグループに所属するのはあまり好きじゃない。お昼休みくらい自分の好きなことしたいし。
一匹狼でいていじめられたことは一度もない。それに、徒党を組まない人間には油断するのか知らないけど、いろんな情報が入ってきて仕事上はけっこう便利だった。

ただ、一度だけ一匹狼をやめようと思ったことがあった。
ある会社に転職したときに、あるグループの女性たちと一緒にお昼を食べようと、入れてもらうことにした。誘われてもいないのに。
結果、アウェー感が満載で、新参者にはわからない話題を説明してくれるわけでもなく、金曜日は外に食べに行くというのも知らされずに置いてけぼりだった。
彼女たちとは関係なく、一緒に仕事をしていた別の部署の男性からは、なにかにつけていちいち気分のよくないことを言われていた。
挙句の果てに、上司からもどうでもいい仕事や、上司自身がやりたくない仕事を振られるばかりで、ずっとこんななのかと思ったらゾッとした。

でも、鈍感なわたしは、そうされるのは全部自分せいだと思っていた。
もっと積極的にみんなのなかに入っていかなければいけない。もっと仕事を的確に行わなければならない。もっと仕事を任せてもいいと思われる働きをしなければいけない。そうできない自分が悪いのだと。マゾか。

今振り返れば、ほんと、どいつもこいつもバカヤローなんだけど。
人間関係を人並みにしようと努力したのに、そのことと関係あることも関係ないこともぜんぜんうまく回らなくなるって、皮肉なことこの上ない。

それでわたしはわかりやすく体を壊し、そこの会社は辞めることにした。
辞めることを伝えたとき、お昼グループの女性のひとりが個人的にお茶に誘ってくれて、プレゼントまでくれた。なにもらったか忘れたけど。
一対一で話せば普通にいいひとだったけど、なんでお茶に誘ってプレゼントまでくれるのかが意味不明。罪の意識かしら。それでも当時のわたしは好意的にとらえていた。めでたいな。
最後に会社を去るときは、上司はなんだか涙ぐんでいた。それも意味不明。これも罪の意識?

このことは10年以上前のことだけど、今日の今日まで彼らにいじめられていたということに気づいていなかった。アホか、自分。
いじめられていることを自覚していれば、それを友だちに愚痴でも吐いていれば、体を壊すまでにならなかったんじゃないか。
でも、渦中にいるときはなかなか口に出せないので、どっちにしても結果は同じだったと思うけど。

いじめられてはいるけど、鈍感だからいじめられていることに気づいていなくて、それに加えて嫌な思いも違和感もなくて、だから自分もなんとも思っていないというケースは、鈍感力がいいほうに活かされている。

いじめられているけど、鈍感だからいじめられていることに気づいていなくて、でも嫌な思いや違和感があって、でも鈍感でいじめに気づいていないから自分が悪いということにしてしまうのは、鈍感力が仇になっている。

ひとのせいにしてはいけない。悪口を言ってはいけない。
いや、ほんとそのとおり。

だけどね、なんでもかんでも自分で背負っちゃったら、背骨折れるわ。
こちらに悪意がないのに理不尽な仕打ちを受けたら、それは自分にとっては理不尽なことであり、それゆえ相手に悪意があることを認めるべき(悪意がないかもしれないけど、そんな忖度する必要はない)。

そうは言っても自分でも知らないところで非があるかもしれないし、悪気がないことかもしれないから、お互いにコミュニケーションをとって歩み寄りましょう。
……なんてことはどうでもよくて、もうね「あのデブぅぅぅ。ムカつくぅぅぅ!!!」(その会社でヤなやつは全員デブだった)くらい叫んでいいと思う。

わたしの心は、神さま仏さまのように心が広くないんで。猫の額程度なんで、体が壊れる前に悪態をつきます。
どうか神さまお許しください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?