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がんになったらうつ病が治った

周年記念を覚えておく習慣がないので、あの日から今年で何年たつのかがあやふやだ。8年? もしや9年?
あのときあそこで誕生日を迎えたけど、何歳だったっけ。大台をあそこで迎えたんだか、それとも大台の一歩手前だったのか。

うちにはかわいい白黒のオス猫がいるが、そんな愛猫の年齢もクリニックの診察カードをいちいち確認しなければわからないし、彼の誕生日(拾われっ仔なので、適当に決めた)も、毎年もれなく忘れる。
1年半ほどまえに、ペットの飼い主さんたち専用SNSみたいなところに登録したおかげで、彼の年齢だけは把握できるようになった。生年月日を最初に入力しておけば、猫のプロフィールに何歳何ヶ月と表示してくれるからだ。
それをときどき見ては、「あー、もう8歳7か月なのね〜」なんてふうに確認できる。
言っとくけど、これでも愛情をもって育てているつもりだ。

そんなかんじなので、あの日が西暦何年なのかがわからない。少なくとも20世紀ではない。
だけど、あの日がその年の「体育の日」だったことは覚えている。

健康診断を受けるときなんかも困るのだ。
「これは何年前ですか」などと看護師だか保健師さんだかから訊かれても、「えっと、いつでしたっけねぇ」なんて遠い目をしながら頭をポリポリと掻く羽目になり、「なんでそんな大事なこと覚えてないんや」と怪訝な顔をされるのだ。

今後のためにも調べてみようと思って当時の書類を探す。……ない。
そういえば、ときめかないからこの間捨てちゃったんだっけ。
よし、できごとを追って導き出そう。
あの日の翌年1月に猫が我が家に来た。猫はそのとき生後10か月。
その翌年の8月に父が亡くなった。
そのまた翌年に東日本大震災が起きた。それはさすがのわたしも忘れない2011年の3月11日。

ということは、父が失くなったのが2010年で、猫と暮らし始めたのが2009年。
そうすると、あの日は2008年ということになり、今年で丸9年がたったってことだ。

さて、ここからが本題です。
ここまで引っ張きたけど、すでにタイトルからわかるように、わたしはがんになったことがある。
2008年の春にがんと診断され、検査も含めて半年くらい病院を出たり入ったりして、同じ年の体育の日に病院から解放された。

当時わたしは軽いうつ病を患っていて、その頃までに薬を2〜3年(ここもあやふや)飲んでいた。
ふつうに、というかむしろかなりハードに会社で働いてたからすでに治っていたのだろうけど、医師が薬はちょっとずつ減らそうねって言うので、服用はし続けていた。
たしかに、ある事情で一日薬を飲めなかったとき、禁断症状のせいか、わけもなく涙が出て死にたくなったことがある。やっぱり、いきなり薬を断ち切るというのは、あまりよろしくないみたいだ。

今の自分じゃ考えられないけど、がんになった当時は仕事が楽しいと心底思っていた。かなり無理な働き方をしていたけれど、その頑張りが自分の能力を多少なりとも人並みに近付けることができたと思っている。
でも、あのときの自分は、さらにもっと意義のある何かを求めていたと思う。

仕事にはヒエラルキーのようなものがあった。
わたしが関係していたところでいうならば、製造よりも設計が上で、設計よりも商品企画が上で、そんな彼らも営業には逆らえないけれど、経営企画の言うことは理不尽であっても誰もが従うものという常識があり……という感じだ。

だから、工程の上流と下流を持ち出してきて、お前の仕事なんて大したことがないなんて言われたら、それだけでわたしのやりがいや信念なんていっぺんで吹っ飛んでしまった。
今だったら、お前の仕事なんて遅かれ早かれAIに取って代わられる、なんて言われたりするのかもしれない。

わたし自身も自分の仕事のことを、社会に必要な仕事だ! とは言えなかったし、思ってもいなかった。
でも、そう思いながら仕事をするのはつらい。だから、無理やり自分の仕事を重要なものに祭り上げていた。
そんなに真面目にやってどうすんの? っていうくらい真面目にやっていたし、いつも上とか先ばかり見ていた。
今までも目標を目指して階段を上がってきたのに、そこはゴールじゃなくてまだ上があったということを、いつだって思い知らされた。

そんなときに、がんという「生きがい」が現れてくれた。
昔から、根拠なく、自分は絶対にがんになると思ってたし、がんで死ぬと思っていた。
だから、がんの告知を受けたときも、「ちょっと早いんだけど」とは思ったが、びっくり仰天というほどでもなかった。家族や友達のほうがアワアワしていて、なんだか申し訳ない気持ちになった。

なるべく早く手術をしなければいけないということで、いろいろな手続きや仕事の引き継ぎをてきぱきとこなした。
仕事ではちょうど新しいプロジェクトが立ち上がる直前だったので、それに参加できないことがくやしかった。今思えばたいした仕事ではなかったのに。そうやって、いかにも自分の仕事を重要なものにしたがっていた。笑う。

仕事を休み、新しい生きがいを手に入れたわたしは、世界を味方につけた気分になった。
だって「がん」だもの。
かなり身近な病気になったとは言え、がんはがん。濁音が入っていて、音声的にも嫌な感じのする病名。
がんと戦うワタシ、ガンカンジャ。

みんなが応援してくれて、同情してくれて、励ましてくれて、大事にしてくれて、誰もわたしを責めないし、バカになんかもしない。
わたしは命をかけてがんと戦うのだ。なんて素敵な人生! 自分でも惚れぼれしてしまう。これがわたしの歩む道。ひょっとして天職かも! 
がんになったら、自信のなさも後ろめたさもなくなったけど、頭はこんな感じでイカれていた。

がんになったことで、「わたしってすごいでしょ」「わたし頑張ってるでしょ」と遠慮なく言える環境が整った。念願の勇気あるヒロインを、リアルに心置きなく演じられるようになったわけだ。
新しい生きがいのおかげで、歪んだかたちで自信を持てて、上を見なくてよくなったとき、わたしのうつは治っていた。
がんという生きがいを得て、どうやら当時のわたしが目指したゴールにたどり着いたみたいだった。

今思えば、結局のところ、わたしは他者の評価を常に意識しながら生きていたんだと思う。
やってることが重要か重要じゃないかとか、意義があるとかないとか、立派だとかそうでもないとか、そういったことを決めるのは社会にいる他者だ。
他者に評価されているということに自覚はないけれど、無意識にはわかっていた。
だから、自分の仕事を無理やり重要なものと位置づけて、必要以上に頑張ってしまう。他者から意義がないなどと評価されないようにするためだ。
病気は生きがいじゃなくて強制終了なのに、そのことに気づかずに同じことを繰り返して、壊れたコンピューターみたいになっていた。

今いる地点が一番上でもそうじゃなくても、意義があろうがなかろうが、どっちでもいいんじゃないのかな。
一番上なら「よかったねぇ」の満面の笑みだし、まだ上があるなら、上るか上らないかキリッとした顔で決めればいい。もちろん上らなくても、恥じる必要はない。
意義がないと思われても、立派じゃなくても、自分がやりたいことなら堂々とやればいい。

上か下か、立派かどうかなんて、結果論だと思う。
上だと思っているものは、たまたま今の世の中で上と位置づけられただけだ。
意義のあるようなことを成し遂げたように見えても、それは結果的に世の中のニーズに合致しただけだ。

どんなことでも、みんな自分がやりたいからやっているように見える。
世界のどこか僻地に行って何か立派だと言われることをやっているひとだって、自主的にそこに行ってやっているわけだし。
少なくとも今の先進国の人間は、強制されて何かをやらないといけないということは少ないと思う。

肩肘張って自分の全精力を傾けて何かに取り組むのもいいんだけど、「あ、好きでやってるんで。大したことじゃないっすよ」って思っている方が平和かもね。わたしはそう思う。

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