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続けること変わること

お盆の終わりに壊れたのと買い替えたエアコンは、今年はもう出番がないかと思っていたけど、無事にまだまだ残暑厳しき夏である。
こないだ夜中に帰ってきたとき、まだまだいけるわよのセミともう秋なのですよの夜の虫が競い合って大合唱していたが、それくらいむちゃくちゃな気温である。

先週は出張で3日間家をあけたので、シッターさんに猫の世話をお願いした。
昔は猫に留守番をさせると2日めくらいから荒れだしてものをひっくり返したりしたこともあるけど、今回は穏やかに過ごせた様子だった。
猫を飼って初めて頼んだシッターさんにはまったく姿を見せなかったらしいが、次から今のシッターさんにお願いするようになって、今ではお膝にまで乗ってゴロゴロと甘えているようである。けっこうけっこう。
うちの猫は基本的に女性が好きなんだが、先方の事情があって一度だけ男性のシッターさんにお願いしたことがあった。そのときも最初の1分だけ警戒した後、自らスリスリしに行っていたのでさすがプロだなと思った。

ペットカメラも導入したので安心である。と言いたいところだけど、やっぱり心配なのが飼い主心で、仕事の合間や行き帰りにカメラをチェックしては大丈夫だと胸をなでおろしている。

自動給餌器も外出先から操作できるので、デジタルネイティブではないどころか昭和生まれのわたしは、今日のテクノロジーにほんとうに感心してしまう。
アナログネイティブでも、便利であるのならば新しい技術はなるべく試してみたい派ではある。

その出張の際、ホテル近くのカフェで2日間朝食をとった。7時前にしてはわりにお客さんが入っていた。そして2日めに気づいたのだけど、半分近くがおそらく毎日来ていると思われるひとたちだった。老若男女問わずいろんなひとがいた。

彼らは同じ飲み物を頼み、同じ席に座り、同じことをしている。あるひとは新聞を読み、あるひとはパソコンで仕事らしきことをし、あるひとは参考書のようなものを広げノートに熱心になにかを書いている。
ここはオフィス街だから彼らはけっこう早く家を出てきてるんだと思う。

毎日同じことを続けるって、あれこれ考えてたらたぶんできない。やり始めは考えるだろうけど、毎日来ている彼らは今やたぶん無意識に毎朝このカフェにやって来ているんだと思う。顔を洗ったり歯を磨いたりするように。
きれいに洗おう(磨こう)とするような行為の内容はそれなりに意識すると思うけど、その行為をし始めることは無意識にできているひとたち。

だけど毎日毎日習慣化された行動を無意識にやっていると、もっとほかの、やったことがいいことが存在する可能性に気づけなくなることもあるかもしれない。
毎朝新聞を読む目的が何なのかは知らないけど、その目的をかなえるなにかほかのことがあるかもしれない。さらに言えば、ひょっとしたらその目的自体が無意味になっているかもしれない。
などということを、早朝のこの店のルールを知らないことにややアウェイ感を抱きながら考えつつ、継続の尊さと変化しないことの愚かさの境目ってどこなんだろうと思う。

このご時勢のために個人がそれぞれにもっていた今までの当たり前を手放さなければならないことも多く、寂しいとか困るとかいうこともあると思う。
でも、個人の力でどうにかできる状況じゃないならば、頭を切り替えて新しい当たり前を探して自分を快適にするしかないよなーと思う。
一度気持ちが離れた恋人を無理やりどうのこうのしても、絶対に戻ってこないでしょ。ひとしきり落ち込んだらさっさと新しいひとを探したほうがいい。
フラストレーションもたまるけど、できないorできなくなったことにいつまでも思いを巡らしているのもなんだかもったいない。

まっ、わたしは病的に継続困難で、執着やこだわりもかなり薄く、あれこれ手を出しては虻蜂取らずになる人間なので、継続重視でものごとをやり、失ったものを少しは思い返すくらいがちょうどいいような気がします。

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