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食べたいときに食え

柔軟性があるからなのか、自分というものがないからなのかわからないけど、わたしはわりに環境適応力があるほうだ。外国に数ヶ月以上住むという経験を3回したことがあるのだけど、食事がとか衛生環境がなどと戸惑う期間が短く、さっさと現地化してしまっていた。

なので、感染症対策のためのなるべく家にいましょうキャンペーンも、もともとインドア派ということもあるけれど、それほど歯をぎりぎりと食いしばるほどの苦悶でもなく、家にいる行為自体はすっと受け入れられた。ましてやえらく寒かったり、雨や雪が降っていれば、キャンペーンこれ幸いと罪悪感なしにこもることができた。

しかしながら、ここ数日の東京は春のようにあたたかかった。そうすると外に行きたくてうずうずするのだ。外に行くだけならいつものウォーキング(兼買い物)でいいんだけど、そうじゃない、いつもとは違うところに行きたいという欲求が出てくる。
その筋の専門家からは「国民は気が緩んでいる」とか言われちゃうんだろうし、なにも土日の混んでいそうなときに行かなくともとわたし自身も思うけれど、植物の芽や冬眠していたカエルが土からひょっこり出てくるように、人間も陽気がよくなればお外に出たくなるものだ。(ちなみにわたしには、陽気がよくなると断捨離を始めるという癖もある)
ということで、昨日の土曜日は行きたいときに行くという行動を素直にしてみた。この、したいときにするということができないことが多々ある。行く、食べる、観る、読むなどなど。

マックのクリームブリュレパイ食べたいな、でもチキンタツタも食べるし、揚げ物×2だと明日の朝胃が痛くなるかなとか思って食べないでいると、そのおいしそうな食べ物は「ご好評につき、一部の店舗では販売を終了しています」ということになる。
体のことを考えてやめといたのだから合理的ではある。だけど、食べたい衝動はその前からあったんだから、チキンタツタとかぶらないタイミングで食すとかもできたわけで、それを先延ばしにするとこうなる。
限定によって話題を呼び込み集客を狙う施策なのか知らんけど、ほんとに期間限定商品が多い。「体の声を聞きましょう」なんつってたらありつけない。客側も機動力が必要とされる。消費社会で踊らされるワシ……。

さて、食べ物の(自分への)恨みはほかにもある。ランチは1種類のみで、毎日ランダムにメニューが変わるというカフェが近所にある(その日のメニューは11時頃Twitterで発表される)。
その店にチーズメンチカツというのがときおり現れる。チーズに弱い自分としては食指が動くのだけど、前の日も揚げ物だったからとか、雨が降ってるからとかの理由で何回かのチャンスを逸してしまった挙げ句、その店は去年の5月から休業している。
忘れられなくて探しているんだけど、チーズメンチカツというのは意外と見ない。と思っていたらひょんなことからこの店にあることがわかり、また食べたくなったら今度は即行こうと思っている。

ところで、昨日「気持ちに素直になって」出かけた折に、「シリコーンたわし」というものを見かけてちょっと気になった。食器用で、洗剤なしでも油汚れが落ちやすいと書いてある。
わたしは手が荒れやすいのでなるべく洗剤は使わずに食器を洗う。アクリルスポンジとかガラ紡のふきんを試していたが、悪いわけじゃないけどよくもないという感じでもやもやしつつ使っている。
昔に比べて衝動買いをほどんとしなくなったし、物もなるべく増やしたくないので、普段だったらやめとくかーとなるところだ。
だけど、そういうことばかり繰り返していると、ほかの場面でも新しいものごとを取り入れることをしなくなっていくような気がした。そうして悪い意味で保守的な人間になっていくのはちょっと困る。

今のような、行こうと思っても行けないという事態が、また別の事情でいつ起こるかわからない。状況が許すのであれば気になったことは即やってみないと、いつかやろうと思っていたことが永遠にできなくなることもあり得る。
たかが300円(+消費税)、今ひとつだったら失敗の経験が一つ増えるけど、それはあながち悪いことでもないかもしれない。

わたしが断舎離しない期間は、自分の失敗を認めたくない期間でもある。自分で買ったものが実は失敗だったということを認めたくないから、適当な理由をつけて保有しておく。あたたかくなってエネルギーが湧いてくると、その失敗も経験として認めることができるようになる。
なので思い切って買いたいときに買っただよ、330円のシリコーンたわし。お皿を洗ってみたけど、うん、シンクの掃除に使おうかなと思ってる。

あっ、それからマクドナルドさん、クリームブリュレパイの定番化をぜひ!

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