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正直なサービスってなんだろう

昨日はお腹を壊し、一日なにも食べられなかった(わたしは腸があまりよろしくない)。
今日のお昼になってもお腹がすかなかったけれど、さすがに歩くのもつらくなってきて、なにか食べないとまずいでしょうと思い、出先でなにか食べることにした。

そうめんが無性に食べたかったけど、そうめんを出してくれそうな店があるとは思えなかったので(そうめんを外食したいときってどこに行けばいいんだろう)、チェーンのイタリア料理店に行くことにした。そこならリゾットという名のおじやがあるはずだからだ。おじやならまあまあお腹にやさしいはずなので。

13時半ごろ着いた店の前には、子どもを乗せる荷台の付いた自転車がたくさん止まっていて、中に入ると、ご夫婦らしき二人連れが席に案内されるのを待っていた。
入り口に順番待ちの紙が置かれていたので、自分の名前を書いた。その紙を見ると、待ち状態であるらしきお客さんが4組ほどいるようだった。ここにはいないけど、外で待ってるのかしら、暑いのに。
だけど、その紙をお店のひとが見ることもなく、入り口に並んでいるひとが順番に席に案内されていた。わたしはそのご夫婦のすぐ後に案内されたので、2番めに着席できた。使わなくなった順番待ちの紙を撤去する暇もないらしい。

リゾットは想像に反して1種類しかなかったので、迷わず(選択肢なく)それを頼む。
ほどなくしてリゾットを運ばれてきた。平皿の上にリゾットの入った深皿が乗せられているのだけど、お店のひとがそれをテーブルに置くとき、上の皿がちょっとずれてしまって、平皿の端っこの方に移動してしまった。
だけど、お店のひとは皿の位置を直すこともなく、「ごゆっくりどうぞ」と言いながら伝票を卓上の透明の筒に挿して去ってしまった。
いえ、いいんですよ、自分で真ん中に置き直しますから。でもねえ、見て見ぬふりはどうかしら、などと思うわたしのことはどうぞ小姑と呼んでください。
リゾットはほんとうにおじやだったので、ありがたかった。アルデンテの米なんて今日は無理ですから。

その後、用事を済ませ、その帰りにチェーンの雑貨店に寄った。
必要なものはすぐに見つかり、レジに持って行った。レジの男性は胸の名札のそばに「実習中」と書かれたバッヂを付けていた。
新人さんなのだろうけど、落ち着いている。落ち着いているのだけど、それはきっとマニュアルなのかもしれないけど、お釣りをくれてからじっと黙っているので、わたしはちょっと困った。えっと、わたしこれで帰っていいんだよね。
たぶんお客さんがくるりと踵を返してレジの前を離れようとするまで、「ありがとうございました」とか言っちゃいけないとか言われてるんだよね、たぶん。そうじゃないと、お客さんを追い立てているみたいに思わせちゃうからなんだよね、たぶん。

以前、比較的高級なスーパーで買い物をしたとき、品物を先に渡され、その後にお釣りをもらった途端に「次のお客様ぁ!」って言われて、ギョッとしたことがあった。
効率重視ってやつなんだろうけど、愛すべきオオゼキだってオーケーだって、そんなことしないわよっ。

いや、べつにサービスに腹を立てているわけではないし、文句を言っているわけでもないし、説教したいわけでもない。こう暑いとそんな気力ももはやないし。
ずれたお皿を直さなかったのは、忙しかったからだけではなく、そういう落ち度をお客の前で見せたくなかったんじゃないかと思う。
「実習中」の彼は、そうやってお客さんとの「間」を今まさに学んでいる最中なんじゃないだろうか。
高級スーパーのひとは、お客さんをいかに早くさばくかってことに命をかけているだけだと思うけど……。

わたしもサービス業ゆえ、お客様の前で完璧に振る舞いたいという気持ちはあるし、レジの前であまりにぐずぐず決められないお客様に困ることもある。
だけど、サービスする側も当たり前の人間として、正直にお客様に向き合ってもいいんじゃないかと思うのだ。
サービスする側、される側の区別があまりにもはっきりしすぎている気がする。
サービスされる側も、気心の知れた店以外では、サービスする側に完璧さを求める。
アメリカの映画なんかに出てくる、ダイナーのやる気のないウェイトレスなんか、日本だったらクレームものかもしれないけど、ちょっぴり腹も立ちつつ、そんなのも適当に流せればいいなと思う。

サービスする側が仮面をかぶって取り繕ったり、サービスされる側が100%の受け身でいたりするよりも、ユーモアと率直さをもって、かつ正直にお互いがそのサービスのやりとりの場で付き合っていければいいなと思うけど、そんなこと言ってるわたしも、感じ悪い対応されるとやっぱりムッとしちゃうなあと思う、超暑い日でございました。

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