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薄すぎる

わたしは一貫性や安定性がない人間だとつくづく思う。ある気になることが現れてそればかりが気になる時期が次々と繰り返される。ブームが現れては去っていく。

そのブームは、料理とか片付けとか特定の音楽とかある作家の本とかある知的好奇心的なものとかやたら偽物くさい問題意識とか自己保守的な批判的思考とか。
そのなかでも気に入った食べ物を一定期間食べ続けるということはあまりない。どうせ普段から同じようなものばっかり食べてるし。

そんな感じだから特技というものがないし、あることについてかなりマニアックに知っているということもない。スタンスもはっきりしない。右も左もない。ぺらっぺらに薄い。

さらにさらにそんな感じだから執着もなく、だめならあっさりと引き下がる。
応答のない相手には、あ、だめなんですね、どうも失礼しましたと引き下がる。相手に会えるまで寒かろうが雨が降ろうが相手の家の軒先でひたすら待つなんてことは想像もつかない。

今日は新しく買った棚を組み立てたんだが、できあがってみれば微妙にガタツキがある。わたしの目にはまっすぐに見えるのだけど、まっすぐに組み立てられていないんだと思うが、テーブルじゃないし、ま、いっかという感じでやり直さないという、完璧さへの執着のなさには自分でもあきれる。

もし、もういろいろ手を尽くしたところで余命はたいしてありませんよと言われたら、やはり、そうですかと引き下がると思う。
だけど、生きているうち、というか生きなければいけないうちは、なるべく生きやすいようにするための手は尽くしている。肉体的なものから物の置き場所のようなことにまで。
だから、生きなければいけないのが前提にある限りにおいて、わたしは生には執着はあるんだと思う。
死にたいと常に思っていたら、なにを食べてもどこに住んでもなにを着ても構わないはずだし、シワが増えようがお腹が痛かろうが気にしないはずだけど、そうは思っていないから。

ところで好きなものを食べ続ける習慣はないけど、好きになった音楽は何度も何度も聴き続けてしまう癖はある。
飽きるのが嫌だから、聴きたいと思ってもがまんすることがあったけど、食べたいときに食べましょう的に、欲望のままに聴きたいうちに聴きましょうと思うことにした。
でもいつか飽きちゃうんだろうなこれも。やだなー飽きたくないなーとここのところ悩んでいるのがマイブームであり、わたしなりの執着である。

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