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定年まであと……。

定年が70歳になるらしい。正確には「70歳までの就業機会の確保について、多様な選択肢を法制度上整え、事業主としていずれかの措置を制度化する努力義務を設けるもの」(厚生労働省ホームページより)とのことで、どの会社も一斉に70歳定年になるわけではない。

わたしはしょっちゅう会社に行きたくなくなるような人間だけど、70歳どころから死ぬまで働きたいとは昔っから思っている。
みんなそうなのかと思ってたのだけど、複数で集まったときに「歳とっても仕事したいひと手あげてー」と言ったら、だれも手をあげなかったことがある。

ずっと働きたいのは、経済的な理由ももちろんだけど、一日の大半を仕事に費やしている生活を長年していて、じゃあ仕事しなくてよくなって好きなことだけやっていいよとなったとき、どういう生活形態になるのかが描けないのだ。

自分の好きなことに使える時間が十分にあるというのは理想的だ。定年退職して最初のある程度の期間はそれを幸福だと思うだろうことは間違いない。

今は、週末はやはり「やらなければならないこと」を優先してしまう(それをしないと次の週が不便だからであり、結局は自分のためなんだけど)。そして、さあ好きなことやるぞというときにはもうカラスが鳴いている時間になってしまうこともしばしばだ。
だから、焦らず義務感にもとらわれずに生活できるというのは確かによさげなんだけど、それを毎日やっていたらつまんなくなるんじゃないかという気もするのだ。
労働や運動のあとのビールはおいしいし、それも最初の1杯がいちばんおいしくて、あとは惰性と勢いでお腹がたぷたぷになるのを感じながら飲むだけなのと同じだ。

なにか物を買ったとき、見るだけでワクワクする状態がずっと続くことってほとんどないんじゃないだろうか。
素敵だなと思って買った、着ただけで気分が上がる洋服が、1年たっても気分が上がることはほぼない。
家具や雑貨は、満足感が洋服よりも比較的長期にわたるかもしれない。わたしも素敵なお皿や奮発して買った家具などを眺めてはいいねいいねと自己満足しているけれど、それも10年もすれば、「ときめく? ときめかない?」とか言って処分の対象としてしまう。

それと同じで、理想的だと思っていた生活が手に入っても、それが常態化したあと、理想的であー幸せとずっと思っていられるとは限らない。
自分を含めていろいろなひとの不満や愚痴を見聞きしていてわかったのは、人間は現状に不満を抱くことが趣味の一つだということだ。実際には総合的に幸福なんだけどそれとはべつで、その幸福をずっと感じ続けることは容易じゃない。

でもわたしにも幸福感が長続きしていることがある。身も蓋もないかもしれないけど、普通に生活できるお金が(今のところ)定期的に入ってくることだ。
20代で結婚していたころに、比喩ではなくて明日の米にも困る時期があった。それがずっと尾を引いていて、安月給だけど、最低限の生活プラス少しのアルファがあることが、わたしにとってかけがえのないことである。
だから働いているということそのものに対しても、基本的には幸せを感じている。文句も多いけどそれ趣味だから。

とはいえ、長時間労働は嫌いだし、好きなことをやる時間だって今より増やしたいから、週に3日か4日で1日6時間くらいの労働がいい。今だってそうしたいくらいだけど、あと10年くらいでそういう世の中になっていることを願う。

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