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ただ歩く

少し前に骨伝導ヘッドホンを買った。イヤホンは耳から外れやすいし、周りの音が聞こえづらいしで、苦手だった。なによりも耳によくなさそうだし。
骨伝導ヘッドホン自体はとてもいい。理由は上に書いたことが解決されるから。

通勤していたときは、往復で2駅分を歩いていた。その1時間弱の間に歩く以外のことができずもったいないなと長い間思っていた。そこへ骨伝導ヘッドホンを導入し、落語を聞きながら歩くようになった。

外でイヤホンやヘッドホンでなにかを聞いているひとは多い。わたしはそういう習慣がいっさいなかったけど、便利な道具を取り入れて時間の効率化をしたほうがいいかもと思ったのだった。

だけど今は歩いているときにヘッドホンをする頻度が減った。歩くという行為をする、それだけすることが、わたしにとってはけっこう大切な時間だったとわかったからだ。

歩いているとき以外は、仕事やら家事やら趣味やら、人間は何かしらのことをしている。睡眠以外のことをしているときのわたしは、そのやらなければならないことに集中している。
あるいは、仕事などに集中しているようであって、実はどうでもいいこと、たとえば過去のことを思い出してあんにゃろ!と思っているとか、そういう建設的でないことに無駄に頭(感情?)を使っていることも多い。

こういう状況のとき、考えるということの入る余地がない。この考えるというのは、べつにテーマを決めて論理的にきっちり思考するということではなく、感覚的か直観的にか、要するに出てくるままにふんわりと考えるというイメージだ。

ただただ歩いていると、今まで気づいていなかったこと、たとえば自分の本当の思いや欲求が現れることが多いことがわかった(だけど、歩いているときにだって非建設的なことが出現してくることはある)。それがアイデアにつながったりする。

歩いているオンリーだと、運動という目的以外には無駄だと思っていた。だけど、いつも自分の外のことに向けて考えてばかりいるわたしのような人間にとっては、ただ歩くという時間は貴重だったのだ。

在宅勤務となり、外出もままならない最近は、歩くこともすっかり減った。平日は家事と食事と室内での運動と仕事、在宅になってからのほうが意外と頭がせわしない。わたしは半身浴をしながら顔体操をやってるので、お風呂ですらぼーっとしていない。
なので、歩くことがわたしにとって大事な時間だったのであって、効率化を求めるところではなかったのだ。

そんなわけで、落語は家で料理を作りながら聞いている。骨伝導ヘッドホンは、ちょっと離れると聞き取りづらい音源のときなんかに便利なので、家で使っている。

さて、解決しないといけないことがある。歩きながらひらめいた(大したことでもない)インスピレーションを、忘れないうちに記録しておきたい。駅につく頃には思いついたことの大事な部分が抜けてしまっていて、表面的な部分だけが残っていて、あれ、こんなことだったけ? となってしまっているのだ。
そのためには音声入力&保存をすぐに使えるようにしたいのだけど、iPhoneの「ショートカット」の設定がなかなかうまくいっていない。
だれか教えてください。

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