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我が道を行(生)きますよ

9月になった。恐れていた自分の誕生月である。
40代なんて思ってたよりぜんぜん若いと思ってまったく気にしていなかった年齢のことを、十の位が5になった途端に、ひー! と思うようになったのは前にも書いた。

ありがたいことに若かったときも中年になって以降も、年齢を揶揄されたことはほとんどない。わたしの周りにいる皆さん、心のなかでとどめておいてくれてありがとう。
子どもと接する機会がほとんどないからか、「おばさん」と面と向かって言われたのは、覚えているだけで1回しかない。それは40歳になろうかというときに、電車の中で乗客の男とちょっとした揉め事があり、たいして年齢の変わらないであろうその男に言われたきりだ(かと言って、飲食店などで「おねえさん」と言われるのも、ちょっと癪に障るが……)。
わたしの場合、いじめやハラスメントについても、そうされたと記憶しているのはわずかなので、それと同じで、言われたことをスルーしちゃってる可能性もあるのだが。

さて、数字は順調に積み重なった大人になったけど、若いひとが、歳をとることはすてきなことだとか希望があるなどと思えるような人間になろうという気持ちはまったくない。実際にそういうことを言うひとがいるんだけど、なんでそんなふうにならなければいけないんだろう、好きにやらせてくれよと思う。
てか、そんなことほんとうに求められているんだろうか。若くないひとたちが勝手に気負ってるだけなのかもしれないし。
もし若くないひとが若いひとたちに希望をもたせられるような生き方をしてます! なんてひとがいたら、なんて傲慢なんだろうと思う。あるひとの思う良さ(この場合は希望がある生き方)はそのひとのなかの良さであって、ほかの個人に押し付けるものじゃないはず。

でも、若いひとが、すてきな大人が見当たらないから希望がないみたいなことを言っているのを聞くことも確かにある。だけど、そんなもの他人に求める必要はないかも。自分が「すてきな大人」になればいいし、希望なんて自分で見つけられる。

とは言え、わたしも以前、歳上の友人が40代半ばで未経験の職種に転職できたと聞いて勇気づけられたことがある。そのひとは目指すことがあり、自分がやりたいことを生き生きとやっているだけなんだけど、そういう姿は結果的にひとに希望を与えるんだなと思った。

わたし自身はとてもそんな生き方はしていない。反面教師という言い方があるように、あんな大人、年寄りにはなりたくない、だからそうならないような生き方をしようということもあるだろうから、すてき大人ばかりじゃなく、わたしみたいにしょぼいやつがいたら参考になるかも。というのは屁理屈ですかね。

若くないひとがもしほんとうに若いひとたちのことを思うなら、唯一できることは、自分の考えを彼らに押し付けないことだとわたしは思うので、それだけは肝に銘じている。

ということで、引き続き我が道を生きるおばさんが通りますよ。

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