見出し画像

ムカつくもんはムカつくのだ

最近、人間関係についてお悩みのひとが多いようです。
上司の陰謀に巻き込まれただとか、家族から結婚を反対されているだとか、親の介護をめぐってきょうだいと険悪なムードになっているだとか。
そんな話をじかに聞いたり、SNS(の閉じたグループ)で知ったりします。

わたしは精神的引きこもりのためドラマチックのかけらもない生活を送っているので、他人のドラマをわりに楽しんで見聞きさせてもらっています。本人たちは真剣のようですけど。当たり前ですけど。

最近のひとたちの傾向なのか、たまたま周りにいるひとたちがそうだったのかわかりませんが、当事者、およびその友人・知人らは、その困ったドラマチックな状況を理性によって打破しようとしているように見えます。

当事者は、どうしてこんなひどいことをされるのか理解できないとか、相手が絶対に悪いとかいうことを最初は延々と言う(書く)んですが、最後の方でふと相手を理解しようとするモードに変わるんです。
あっちはあっちで大変なんだとか、あんなこと言っても家族なんだから愛があるのはわかってるだとか。
わたしからすると、やけに理屈っぽく感じるし、無理があるようにも思います。

とくにSNSでそういう投稿が立つと、それについてのコメントも理屈っぽいものが目につきます。
当事者たる友人のことを慮って一緒になって怒り、対立相手を非難するっていうのはいいんですが、世間一般に対して自分たちが優越であるようなことを言ったり、自分の感情を見つめましょう的な心理面だか精神面だかの切り口でアドバイスをしたりしているのを見ると、反吐が出そうになります。

世間をそういうもんだと決めつけちゃっていいんでしょうか。あなたはどこにいるの、あなたも世間の一員ですよ。まるで無関係だと言うのでしょうか。

感情を見つめましょう? 相手が悪いと思っている状況で自分の感情をきちんと見つめたならば、神様でもないかぎり、怒りの感情しか見えないんじゃないでしょうか。
怒りを越えて悲しい、なんて言うのもたぶん嘘。

これは皮肉でもなんでもないんですが、みんな学習意欲が旺盛でいろいろなことを勉強し、かつ頭もいいんだと思います。だから、自分たちが悪者にならないようにコントロールする術を持っています。

良くも悪くも、言葉は武器になります。どこかで拾ってきたきれいな言葉はすっかり自分らのものになり、それを使って感情も事実もコントロールできるひとたちなんです。
自分たち側が道理にかなっている状態(つまり我々は正しい)をあくまでも維持しながら、対立相手との関係の立て直し、あるいは解決策を理性的に探っていくのです。

あなたが相手を悪だと思っているのと同じくらい、相手もあなたを悪だと思っているはずです。
そこに愛やら優しさやらなんて見つけなくていい。そんなのはあなたがつくり出したダミーでしかないんです。勝手にダミーをつくられて、相手も迷惑千万でしょう。

ムカつくもんはムカつくんです。
嫌いなやつは嫌いなんです。
理解できないもんは理解できないんです。

将来、ムカつかなくなるかもしれないし、好きになるかもしれないし、理解できるようになるかもしれません(ならないかもしれない)。
ひどい状況に見えても、お互いのやり方が違うだけで、相手もこっちと同じ思いを持っているのかもしれません(ないかもしれない)。

でも、今はそんなこと考えなくてよろし。今は、ムカつく! という事実に忠実でいたほうがよろし。
そんな自分に自己嫌悪を抱かなくてもよろし。
どうせ人間は罪深くできているらしいから、罪深いあなたと罪深いわたしで、けんかしながら仲良くやりましょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?