見出し画像

極められない

今週末はフジロックだったんですってね。Twitterはいろんなことを教えてくれて、もはや情弱なわたしにとってのニュースサイトでございます。
フェスには行ったことはないのだけど、高校生のころはライブやコンサートにはときどき行っていた。
だけど、あのノリノリの雰囲気に自分を合わせていくことが苦手で、いつの頃からかじっと座って聴いていればいい、というか、物音一つ立ててはいけない空気のコンサート(すなわちクラシック)にしか行かなくなってしまった。

わたしはなにごとに対しても陶酔することができない。ライブだってそれなりに楽しんではいるけど、酔いしれることができないのを無理やりそういうふりをするので疲れる。ほんとうはしれっと見ていたい。VIPになるしかないか。

今はそのことについて悩むことはなくなったけど、昔はなにかひとつ以上のことにどんな形であっても没頭することがない自分はおかしいんじゃないかと思っていた。

それなりに音楽は聴き、本を読み、映画も観るし、展覧会に行ったりもするけど、ほんとうはそれらが好きなんじゃなくて、文化資本を保とうとしているだけなんじゃないかと思う。だって打ち震えるほど感動したことってないもの。だからその動向を逐一追うような「推し」もいない。

なんとなくジャンルをまんべんなく音楽を聞いたりするけど、今はとくにストリーミングサービスがおすすめしてくれるものだから、そのあたりを適当にぽちぽちと聴いて、アーティストの名前も覚えない。
好きな作家はと問われても、そんなの「休日は何してるの」とか「好きな食べ物は何」と同じ類の質問で答えようがないのだから、お願いだから聞いてくれるなと思う。
でも、好みがはっきりしていたり、推しがいるようなひとは即答できるんだろうな。

こんな感じでなにかを極めることをしてこなかった人間だけど、それをコンプレックスに感じる必要もないかと思うようになった。コンプレックスになるのは、極めている=善、そうじゃない=善じゃない、というふうに思い込んでいるからであって、ほんとうはどっちがいいとか悪いとかじゃないし。

マニアックになにかに没頭しているひとを見るのは好き。没頭する対象がどんなことであっても。心からいいねと思う。自分ができないからかもね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?